ぽん太のよりみち精神科

たんたんたぬきの精神科医ぽん太のブログです。ココログの「ぽん太のみちくさ精神科」から引っ越してまいりました。以後お見知り置きをお願いいたします。

【2024年・令和6年版】日野七福神巡りガイド

 お正月はどこに出かけても混んでるし、だからといってずっと家で過ごすのも……。そんな方におすすめなのが、ウォーキングにもなり、初詣のご利益もある日野七福神巡りです。

 ぽん太は2023年(令和5年)の正月、コロナでどこにも行けないので時間を持て余し、日野七福神めぐりにでかけました。その経験を皆様にお伝えいたします。

準備編

日野七福神巡りとは

 日野七福神巡りとは、毎年1月1日から1月7日まで、日野市にある七福神を祀る7つのお寺を巡って、開運を祈願するというイベントです。それぞれのお寺の御開帳は、午前9時から午後4時までとなります。

 御朱印を集めて記念品をいただけます。最初のお寺で300円で色紙を購入し、それぞれのお寺で御朱印(各300円)を7つ集めると、最後のお寺で受け取ることができます。

 7つのお寺と、祀られている七福神は以下の通りです。

 福禄寿(ふくろくじゅ) 石田寺(せきでんじ)
 毘沙門天(びしゃもんてん) 安養寺(あんようじ)
 寿老尊(じゅろうそん) 延命寺(えんめいじ)
 子寶大黒天(こだからだいこくてん) 善生寺(ぜんしょうじ)
 恵比寿天(えびすてん) 真照寺(しんしょうじ)
 弁財天(べんざいてん) 高幡不動金剛寺(たかはたふどうこんごうじ)
 布袋尊(ほていそん) 宗印寺(そういんじ)

 まわる順番は決まっておらず、また1日で巡る必要もありません。

参考になるサイト、マップ・パンフレット

 下記の日野市観光協会のサイトが、見所が詳しく書かれていてマップもあるので、印刷して持ってくか、スマホで見ながら行くといいでしょう。

 ただ高幡不動駅のところで「京王線のくぐる地下道を抜ける」と書いてありますが、現在は階段(エスカレーター)を登って改札前を通り過ぎる形になっております。

 また、駅などで配っている下記のパンフレットも見やすいので、スタート地点の百草園駅でゲットしておきましょう。

所要時間

 ぽん太はゆっくりと11時過ぎに百草園駅から歩き始め、最後の宗印寺に着いた頃は午後4時を回ってしまいました。御朱印の窓口は閉まってましたが、参拝はすることができました。

 ぽん太はのんびり回って、途中高幡不動尊の参道でお蕎麦をいただいて、5時間ちょっとかかったことになります。御朱印をもらうともう少し時間がかかるでしょうし、体力や、参拝にかける時間によって個人差があるかと思うので、余裕を持ったご計画をお立てください。

 1日で回れなくても、期間中に何回かに分けてお参りすることもできます。

さあ七福神巡りにでかけよう!

①恵比寿天:真照寺

 山門を入って右手のお堂の中に安置されております。新そうですがプロポーションも良く、福々しくて、色彩や細かい装飾も見事です。右手に結ばれた七色の糸を介して、恵比寿様と握手することができます。

 ただ仏教の場合は、青・黄・赤・白・黒の五色の糸を使うのが普通で、七色というのはぽん太は初めて見ました。

 真照寺のご本尊は、元禄9年(1696年)の作。真照寺は1921年(大正10年)に火災にあって、建物や仏像などほとんどが焼失しましたが、ご本尊は難を逃れて現在に至ってます。

 本堂のなかの仏さまです。宝冠をかぶり智拳印を結んでいるので大日如来さまですね。この像が真照寺のご本尊なのか、それとも御前立(おまえだち、秘仏の代わりに通常祀ってある像)なのか、ぽん太にはわかりません。

 本堂の向かって左にある観音堂。内部には千手観音が祀られているそうです。

 なにげに建っておりますが、医者の端くれのぽん太には聞き逃すことができない歴史があります。寺の公式サイトによると、観音堂は元は山門左手の山腹にありましたが、周辺の村に伝染病が流行した際に病棟として使用されていたため、明治30年代に焼却処分されたそうです。

 明治時代の重大な流行病といえばコレラ天然痘が思い浮かびます。伝染症であることはわかっていましたから、隔離目的に観音堂が使われたのかもしれません。

 明治30年(1897年)は、「伝染病予防法」が施行された年です(伝染病予防法 - Wikipedia)。コレラ天然痘を含む10種の急性伝染病の取り扱いを定めたもので、市町村は伝染病院あるいは隔離病舎を開設する義務を負い、また病毒伝播の疑いのある物件の使用禁止などが定められました。こうした流れの中で伝染病院が作られ、不要となった観音堂が焼却処分されたのかもしれません。

 観音堂に古くから祀られ信仰を集めてきた千手観音は、上に書いた大正10年の火事で焼失。その翌年に作り直されたものが、現代まで伝わっているそうです。また観音堂の建物は、昭和61年(1986年)に再建されたものです。

 千手観音の御開帳は12年に1度、卯年だそうです……って今年じゃん。4月1日から30日まで、「武相48観音霊場ご開扉」で御開帳されるようです。

 真照近くの川崎街道沿いに、なんだか素敵な建物が。真照寺が経営している「日野わかくさ幼稚園」だそうです。

 真照寺は江戸末期から寺子屋を開いておりましたが、明治時代になって寺の境内に小学校が造られました。小学校は変転のすえ昭和41年に廃校となりましたが、流れを受けて昭和43年に日野わかくさ幼稚園が開園しました。

 そうだったのか。よくお寺に幼稚園があるのは知ってましたが、あれって「現代の寺子屋」だったのか。ぽん太は初めて気が付きました。

 設計は彦根アンドレアさん。素敵な建物ですね。こんな幼稚園に通えたら嬉しいです。

落川

 百草園駅の北の商店街から北西に向かう道は落川道と呼ばれ、石田村や日野宿に至る古くからある道だそうです。静かな住宅街をゆるゆると曲がりながら進む気持ち良い道です。

 府中市四谷体育館の前にも「落川道」の碑がありますが、先ほどの道がここにつながっているとは思えないので、名前は同じだけど別の道でしょうね。

都立日野高校

 モノレールが走る新井橋で浅川を渡って、川沿いに少し東に進んだところに、都立日野高校があります。

 忌野清志郎の母校で同学年に三浦友和が在籍していたという、ご老人なら思わず目を見張るスポットです。若い人には、アンジャッシュのお二人の方がお馴染みでしょうか。

 上にリンクした日野市観光協会の日野七福神巡りのサイトには神田正輝の名前も上がってますが、彼は神奈川県の日本大学高校だと思います。ぜひご訂正を。

 清志郎が通ったという旧校舎は、残念ながら2021年に老朽化のため解体。ぽん太が訪れた2023年正月は、上の写真のように手前にプレハブの仮校舎、奥に新校舎が建設中という状態でした。8月に新校舎が竣工し、2学期からは新しい校舎で授業が行われているようです。

②福禄寿:石田寺

 ガラスに反射しまくって見にくいですが、写真の中央あたりに福禄寿の細長い顔が写ってます。場所は石田寺(せきでんじ)です。

 真照寺の恵比寿天と作風が似ており、同時期に同じところで造られたようにぽん太には思えます。

 

 境内にある北向観音堂です。昭和51年に復元再建されたもの。

 寺伝によると、1554年(天文13年)に多摩川に大洪水が起きたとき、一体の観音像が石田に流れ着いたそうです。村人が古いお寺の廃寺跡に観音堂を建てて祀っていたのが元になり、1593年(文禄2年)に慶心という僧が堂宇を建立し、石田寺と名付けたそうです。

 堂の中には高さ1mほどの細長い厨子がありますが、扉は固く閉ざされております。中には洪水で流れ着いたという十一面観音様がおられるのか!? 公式サイトにちっちゃな写真があるけどよく見えません。

 毎年10月17日の北向十一面観音まつりの時に開扉されるようです。

 石田村というと新撰組土方歳三が生まれたところとして有名ですが、石田寺に土方歳三のお墓がありました。

 「土方歳三の墓なんて、どうせあちこちにあるんじゃない」などとぽん太は穿った見方をしてたのですが、調べてみると「墓」は日本でここだけ、本家本元のようです。

 ただしここには遺骨は眠っておらず、亡骸は函館のどこかに埋葬されたと言われていますが、どこかはわからないそうです(土方歳三 - Wikipedia)。

 余談ですが、境内の一角にある小さなお稲荷さんの狛狐がとっても見事だったので、写真を載せておきます。赤ちゃんギツネを2匹両手で守ってますが、リアルで可愛らしいですね。

 風習なのか悪戯なのか、狐たちの頭の上にコインが乗ってるのも面白いです。

土方歳三生家跡

 土方歳三生家跡です。

 日野市教育委員会設置の案内板によると、土方歳三が生まれた場所はここではなく、石田寺の北側にありました。ところが土方が12歳の時に起きた大洪水で被害を受け、実家はこの地に移り、母屋や土蔵も移築されました。以後1863年に浪士組の一員として京都に行くまで、土方はこの家で暮らしたそうです。

 長く子孫によって「土方歳三資料館」として遺品が公開されて来ましたが、個人の頑張りでは運営が限界ということで、2022年10月末から長期休館しております。とっても残念ですが仕方ありません。再開を心からお待ちしております。

毘沙門天:安養寺

 安養寺の毘沙門天は、仏像としては日野七福神のなかで別格で、藤原時代(平安時代後期)に作られた古いもので、日野市指定文化財です。檜材の寄木造で、像高は132cm。

 勇ましい毘沙門天ですが、穏やかでおっとりした雰囲気はいかにも藤原時代。獅子噛(ししかみ:ベルトのバックル部分)の彫刻も細かいです。

 しかし腰のひねりはすごいですね。『がきデカ』のこまわりくんレベルです(誰も知らんか…)。ちょっとカマクラ風が入ってるかも。

 上半身はほっそりしていますが、下半身は太めで力強いです。お顔は若々しく、ちょっと憂いを含んだ表情です。素晴らしい仏さまです。

 この像は普段は本堂に祀られていますが、日野七福神巡りの期間は薬師堂で公開されます。

 薬師堂に元々祀られてる、貞享年間(1684〜1688)の薬師如来(檜造、寄木造、漆塗り)と、日光・月光菩薩像も拝観できます(お写真はこちら→https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kumacare.jpg)。

 薬師如来は漆塗りで真っ黒い仏さま。江戸時代っぽく、ちょっとグロテスクで圧迫感があります。日光月光菩薩は素地仕上げでかなり新そうで、近代になってからのものでしょうか。

 安養寺には他にも藤原時代の本尊阿弥陀如来坐像(都指定)、享保年間の観音菩薩勢至菩薩鎌倉時代大日如来立像や阿弥陀如来立像などがあり(画像→https://www.anyoji.com/shobutu/index.html)、いつ公開されるのかわかりませんが、機会があったら拝観したいです。

高幡不動の蕎麦

 高幡不動に行ったら、せっかくなので参道でお蕎麦をいただきましょう。蕎麦屋マップみたいなものがあればいいのですが、検索しても見当たりません。ネットなどで検索したり、実際に参道を歩いたりしていい店を探しましょう。

 ぽん太が行った時は、どこ店も長蛇の列だったので、その瞬間に列がいちばん短かった千手庵に入りました。

 お蕎麦は普通はせいろで味わうぽん太ですが、寒かったので暖かいきつねそばを注文。冷えた体が温まり、七福神めぐり後半に臨む元気が湧いてきました。

④弁財天:高幡不動尊金剛寺

 次は高幡不動です。これまでの静かな雰囲気とは異なり、初詣客ですんごい人出です。せっかくですから不動堂もお参りしたいところですが、長い行列ができていて待ち時間40分の案内が……。ぽん太は不動堂は諦めて、七福神巡りに徹して弁財天を目指すことにしました。

 境内の案内図は上のサイトをご覧ください。

 総門を入って左の方に赤い橋があり、その先に弁天堂があります。

 人混みをかき分けてなんとか弁天堂に到着。格子の間からお堂のなかを覗くと、あれれ、弁天様がは厨子に入っていて見えません。七福神巡りのパンフレットには写真が出てるのに、実物が拝観できんのかいな。きれいなお姿なのに。

 ちょっと納得できない気もしましたが、境内の大混雑からお寺の「ソレどころじゃナイ」感が伝わってくるので、参拝を済ませて早々に人混みを後にしました。

 縁があったらご本尊と共に拝観したいです。

⑤寿老尊:延命寺

 延命寺に到着。正面の開いている入り口に誘われて中に入ると、小さな寿老尊の銅像が。曲がりくねった杖を持ち、体を捻って天を仰ぐ不思議な像です。ありがたや、ありがたや。撮影禁止なので写真はありません。

 参拝を終えて外へ出ると、庭の祠にも大きな寿老尊が。なんかロシア正教の司祭みたいな不思議な像でした。お参りの人で混んでたので「撮影はいいや」と立ち去ったのですが、後でパンフレットを見たらこっちが七福神巡りのようです。

 パンフレットの小さい写真をアップしておきます。

 延命寺の本尊は延命地蔵菩薩ですが、秘仏となっており、住職一代につき一度しか御開帳しないそうです。

⑥子宝大黒天:善生寺

 祠のなかに大黒様がおりました。

 お堂の鴨居の上に、かわいいネズミの彫刻があります。ネズミは大黒天の使いとされています。

 善生寺は境内がとても広く、奥の小高いところにはなんと大仏もあります。時間と体力がある方は、お参りしましょう。

布袋尊:宗印寺

 七福神巡りも残すところひとつ。最後は宗印禅寺です。ぽん太がここに着いた時は、制限時間の16時を超えてしまいましたが、御朱印集めはしなかったので、参拝だけいたしました。御朱印を集めている方は時間にご注意を。

 目指す布袋尊は、門を入って右手の小高いところにある東屋に祀られております。

 こちらです。連行されてるんじゃありません。五色の糸ですね。

 境内には平山季重(ひらやま すえしげ)のお墓があります。お墓といっても祀るためのもので、遺骨は入っておりません。平山季重は平安末期から鎌倉初期の武将で、源義経に従って、富士川の戦いや一の谷の戦い、壇ノ浦の戦いなどで勇猛果敢に戦ったことで知られています。

 地蔵堂のなかには千躰地蔵が祀られております。中央の厨子の中には木造地蔵菩薩坐像が祀られていると思われ、併せて日野市指定文化財に登録されています。日奉(ひまつり)氏から出た平山季重が地蔵堂を草創したという言い伝えから、日奉地蔵と呼ばれております。

 さて、日野七福神巡りもこれにて終了。山門から見下ろす街並みには夕陽が当たってます。

 お疲れ様でした、本年も良い年でありますように。

年末の感動!ウクライナ国立劇場管弦楽団「第九」

 今年の年末も、昨年に引き続きウクライナ国立歌劇場管弦楽団の第九に行ってきました。ロシアのウクライナ侵攻も、人々の関心はイスラエル・ガザ戦争に移り、国際社会に支援疲れも出てきているようですが、せめてコンサートに行くことで応援してあげたいところ。

 演奏後には会場に集まった人々のそうした思いも込めた盛大な拍手が送られ、指揮者のミコラ・ジャジューラもちょっと涙ぐんでいるように見えました。

今年は小編成でウクライナ国立劇場合唱団も来日せず

 今回は「運命」と「第九」というプログラムで、大盛りの料理でおもてなしという感じなのですが、ちょっと重すぎてお腹いっぱいの感じがしました。両方とも目一杯の曲ですからね〜。「第九」が何と言ってもメインディッシュということで、1曲目はもうちょっと短い曲でよかった気がします。

 今回はコントラバスが3台というかなり小さな編成でした。昨年のコントラバスの数は覚えてないけれど、日本人奏者がかなり混ざって、もっと大人数だった気がします。今年も日本人が少数混ざってました。

 また前回は合唱がウクライナ国立歌劇場合唱団でしたが、今回は晋友会。2023年1月にオペラ「カルメン」の公演があったので前回は合唱団も来ていたけど、今年は年明けにバレエ公演しかないので合唱団は来てないのでしょう。

 晋友会合唱団は、いくつかのアマチュア合唱団によって組織されておりますが、プロのコンサートにもしばしば出演し、高評価を得ております。迫力ある素晴らしい歌声でしたが、ちょっと声質が荒かった気もします。

 座席は今回は1階5列目の席を取ったのですが、1,2列目の椅子は舞台拡張のため撤去されていて、実質3列目。ちょっと前すぎるかなーと思っていたのですが、音が質の悪い録音を聴いているみたいにくぐもって聞こえ、管楽器もあまり聞こえず、残念な席でした。

迫力不足の「運命」

 最初のジャジャジャジャ〜ンが、音が小さく迫力がなくてがっかり。オケの人数が少ないせいか、席の音響が悪いせいかよくわかりませんが。アンサンブルもちょっと乱れがち。ぽん太も年末の疲れのせいで、何回か意識を喪失してしまいました。

気魄のこもった「合唱」が感動を呼ぶ

 休憩時間に「こんなもんかな〜、まあウィーンフィルベルリンフィルと比べちゃいかんもんな〜」などと思っておりましたが、後半の第九は打って変わって良かったのでびっくりしました。ぽん太の脳の調子が打って変わって良くなっただけかもしれませんが。

 ニコラ・ジャジューラの式は、昨年同様早めのテンポで、全体の流れを重視して大きくまとめていく感じ。ところどころで緩急や音量のニュアンスを加えてました。オケも第九の複雑な合奏を見事に演奏していたように思います。

 ただ、第三楽章のトランペットの警告のところは、夢から覚めさせられて呆然とするような感じがありませんでした。

 ジャジュールの力が一番こもっていたのは、第4楽章のチェロとコントラバスによるレチタティーヴォがこれまでの三つの楽章を否定するところ。彼は真剣な表情で握り拳を振り回し、唸り声を上げながら奏者を鼓舞しておりました。なんでここでこんなに力を入れるのかぽん太にはわかりませんでしたが、その迫力に気圧されました。

 バリトン(本公演ではバス)のレチタティーヴォは、昨年のセルゲイ・マゲラの地響きするかのような低音が印象的でしたが、今回のセルゲイ・コブニールも見事な重低音を聞かせてくれました。またソプラノのリリア・フレヴツォヴァも素晴らしかったです。

 合唱が加わってからは、天井が高い東京オペラシティーコンサートホールで聴いていると、まるで天から声が降り注いで来るかのようで、とても神々しかったです。

 瓦礫の中で立ち上がった市民が小さな声で歌い始めたかのような「歓喜の主題」が、さまざまな楽器や合唱が加わって大きな力強い声となっていき、最後には天上の神の世界の音楽と合わさって喜びと友愛を唄い上げる「第九」ウクライナやガザの現状やベートーヴェンの思いが頭の中を渦巻いて、最後には音響の悪さやオケが小編成なこともどうでもよくなって、ぽん太はとっても感動しました。

公演情報

第九&運命 ウクライナ国立歌劇場管弦楽団

2023年12月30日
東京オペラシティーコンサートホール

公式サイト:https://www.koransha.com/orch_chamber/daiku/

曲目 ベートーヴェン交響曲第5番 ハ短調 作品67「運命」
   ベートーヴェン交響曲第9番 ニ短調 作品125「合唱付き」

指揮:ニコラ・ジャジューラ
演奏:ウクライナ国立歌劇場管弦楽団
   ソプラノ:リリア・フレボツォヴァ
   メゾソプラノ:イリーナ・ペトロヴァ
   テノール:オレグ・スラコマン
   バス:セルゲイ・コヴニール
   晋友会合唱団

明るく楽しいけどどこか哀しいヨハン・シュトラウスの「こうもり」新国立劇場オペラ

 イスラエルのガザ侵攻やら政治と金問題やら暗い世相を吹き飛ばすべく、明るく楽しいヨハン・シュトラウスの「こうもり」を観に新国立劇場に行ってきました。

 ハインツ・ツェドニクの演出、オラフ・ツォンベックの美術という新国立劇場定番のプロダクションで、アデーレの変な泣き声に皆がキョロキョロするところがないなど細かい違いはありましたが、安心して見れるお洒落で愉快な舞台でした。

外国人歌手が6人も出演

 今回の公演は外国人歌手が6人も出演しました(当初は7人の予定でしたが、一人病欠でした)。新国立劇場大盤振る舞いですね。コロナ禍のリベンジ消費でしょうか?

 アイゼンシュタイン役のジョナサン・マクガヴァンはぽん太は初めて聴きましたが、声量もあり、コミカルな演技も上手でした。ロザリンデのエレオノーレ・マルグエッレも豊かな声量を持ち、チャールダーシュも貫禄がありました。アデーレのシェシュティン・アヴェモも可愛らしかったです。

 ちょっと残念だったのが、オルロフスキー公爵のタマラ・グーラ。高音と低音の発声がぜんぜん違っていて、間のけっこうな音域がちっとも聞こえませんでした。他のお客様も満足できなかったのか、アリアのあとに拍手がおきなかったりして、ちょっと可哀想でした。

 フロッシュ役は、コミカルな演技で楽しませてくれたフランツ・シュラーダはさすがに卒業して、今回はホルスト・ラムネク。ひょろっとしたノッポ体型で、見た目から喜劇っぽく、演技も上手でした。アンネン・ポルカのメロディーにのせて歌も披露!と思ったら、ウィーン出身の歌手なんですね。

 フランクの代役を務めた畠山茂、アルフレードの伊藤達人も良かったです。

 指揮のパトリック・ハーンもぽん太は初めてです。オペラの指揮の良し悪しはぽん太にはよくわかりませんが、序曲はあんまりためないで、スピーディーでスタイリッシュな演奏でした。演奏は東京フィル。新国立劇場合唱団はいつもながら見事。東京シティ・バレエ団のバレエも楽しめました。

ヨハン・シュトラウスの時代も暗かったの?

 このような底抜けに楽しくて美しく流麗なオペレッタを作るなんで、ヨハン・シュトラウスの時代は相当ブラックだったに違いないと思い、「こうもり」の時代背景を調べてみました。

 「こうもり」の初演は1874年のウィーン。あれれ、ということはまさに精神分析家ジグムント・フロイトの時代のウィーンですね。

 フロイトが生まれたのが1856年。一家は1859年にウィーンに転居します。1974年というと、フロイトウィーン大学で学んでいた頃。このあとパリ留学を経て1886年にウィーンに戻ったフロイトは、精神分析という治療法を創始します。

 この時代は大まかな流れで言うと、フランス革命に始まった自由平等思想と、ウィーン体制に代表される復古主義の争いの時期で、資本主義の発展とともに市民階級の勢いが増しました。一方では資本家と労働者のあまりの格差に対する反発から、社会主義運動が台頭してきました。

 オーストリアでも1848年に3月革命が勃発。自由と民主主義を求める民衆と政府がぶつかり、政情は混乱。当時23歳だったヨハン・シュトラウスも熱に浮かれて革命を支持する音楽を作曲し、反政府的活動を行います。

 しかしこの年、新しい皇帝となったフランツ・ヨーゼフ1世は、王権は神によって皇帝に授けられたという王権神授説をガチで信じる根っからの復古主義者で、自由主義を徹底的に弾圧。ヨハン・シュトラウスは身を翻して皇帝を讃える曲を作ったりして媚を売りましたが、皇帝はなかなか許してくれず、父のヨハン・シュトラウス1世が務めていた宮廷舞踏会音楽監督の役職を継がせてもらえないなおど、意地悪が続いたようです。ヨハン・シュトラウスがこういう情けない人間だったからこそ、情けない弱い人々を愛する「こうもり」のような作品が生まれたのかもしれませんね(ヨハン・シュトラウス2世 - Wikipedia)。

 1853年、フランツ・ヨーゼフ1世は、長年の懸案だったウィーンを囲む城壁を撤去し、ウィーンの都市改造に取り掛かります。城壁の跡には環状道路が作られ、新たな目を引く建造物が次々と建てられましたが、それらは過去の様々な建築様式の寄せ集めで、まさに「虚栄」の象徴でした。

 1859年のイタリア統一戦争での敗北は、オーストリア人に屈辱を与え、また財政の悪化も招きました。国家の改革を余儀なくされたフランツ・ヨーゼフ1世は、あれほど嫌っていた自由主義を取り入れて議会を整備するなど、立憲君主制的な政治体制を整えました。

 イタリアを失ったオーストリアは、今度はドイツ連邦で主導的役割を得ようとしますが、1866年に始まった普墺戦争ビスマルク率いるプロシアにあっけなく敗れます。このあとオーストリアは、ハンガリーなど東方に活路を見出していくことになります(フランツ・ヨーゼフ1世 (オーストリア皇帝) - Wikipedia)。

 敗戦の翌年の1867年にヨハン・シュトラウスは合唱用のワルツを発表しますが、当初つけられた歌詞は、「ご時制なんて気にするな、悲しんだってどうしょうもないさ、だから楽しく愉快に行こうぜ」といったものでした。このワルツはぜんざいでは、「美しく青きドナウ」として世界中で愛されております(美しく青きドナウ - Wikipedia)。

 「こうもり」初演の前年の1873年、ウィーンで万国博覧会が開かれました。35カ国が参加し、多くの人々が来場し、各国から首脳や皇族・王族が訪れるなど、大いに賑わいました。しかし開幕前に下町でコレラが発生し、開幕直後に株価が大暴落するなど、繁栄の光と影が映し出されました(ベルリンの『こうもり』東京に舞い降りる - 東京二期会)。

 こうしてみると「こうもり」が書かれた時代は、第一次大戦の頃のようにどっぷりと暗いわけではなく、日本で言えばバブルの頃のような浮かれた雰囲気と、その間に見え隠れする社会不安が入り混じったような世の中だったように思えます。

 この節の冒頭でフロイトのことを書きましたが、フロイトが診察した患者さんたちは、性的なものも含めて当時の快楽を望みながら、道徳的にはそれを堕落した悪いものだと考えている人たちが多いようです。一方ヨハン・シュトラウスは、「いいじゃないか、人間だもの よはん」と弱い人間を肯定しているように思います。ヨハン・シュトラウスの観客は一般民衆で、フロイトの患者の方はちょっとハイソなブルジョアだったからでしょうか。

 しかし「同じアホなら踊らにゃそんそん」とばかりにはしゃぎ回るヨハン・シュトラウスも、その裏面の寂しさや虚しさを忘れてはいなかったからこそ、快楽のかぎりを尽くして飽き飽きしながらも他人が楽しまないことを許さないオルロフスキー公爵のような人物を登場させたのかもしれません。

公演情報

「こうもり」
ヨハン・シュトラウスII世

2023年12月10日
新国立劇場 オペラパレス
公式サイト:https://www.nntt.jac.go.jp/opera/diefledermaus/

【指 揮】パトリック・ハーン
【演 出】ハインツ・ツェドニク
【美術・衣裳】オラフ・ツォンベック
【振 付】マリア・ルイーズ・ヤスカ
【照 明】立田雄士
【舞台監督】髙橋尚史

【ガブリエル・フォン・アイゼンシュタイン】ジョナサン・マクガヴァン
【ロザリンデ】エレオノーレ・マルグエッレ
【フランク】畠山 茂
【オルロフスキー公爵】タマラ・グー
アルフレード】伊藤達人
ファルケ博士】トーマス・タツ
【アデーレ】シェシュティン・アヴェモ
【ブリント博士】青地英幸
【フロッシュ】ホルスト・ラムネク
【イーダ】伊藤 晴

【合唱指揮】三澤洋史
【合 唱】新国立劇場合唱団
【バレエ】東京シティ・バレエ団
管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団

キリル・ペトレンコ指揮ベルリン・フィル来日公演2023

 先週のウィーンフィルに続き、こんどはベルリンフィルを鑑賞。なんと贅沢なことでしょう。

 指揮はロシア人のキリル・ペトレンコで、曲目にはリヒャルト・シュトラウス交響詩が入ってて、なんだかウィーンフィルと被ってるような……。それともコラボ企画か?

 ペトレンコを生で聞くのは初めてですが、ロシアのオムスク生まれ。ロシア中南部の都市で、いわゆるシベリアにあり、南側はカザフスタンです。父親はウクライナリヴィウ出身とのこと。

レーガー:モーツァルトの主題による変奏曲とフーガ

 以前から退屈な曲だと思っていましたが、生ベルリンフィルで聴くとオケの素晴らしさは堪能できましたがやっぱり退屈で、チケット代のうち8千円分くらい寝てしまいました。

 1914年に書かれた曲で、レーガーは作曲するにあたって、当時の音楽界の混乱、同時代人たちの作品の不自然さ、奇妙さ、奇抜さへの対抗の宣言という意図があったそうですが(モーツァルトの主題による変奏曲とフーガ - Wikipedia)、なんか混乱して奇抜な作品の方がいいような。

 余談ですが、最初に楽団員が出てくるところで、おっきな体のヴィオラ奏者が「オレの席がない」「お前出ないだろ」みたいな感じで揉めてて、結局引っ込んでしまいました。出番を間違えたのでしょうか。

R.シュトラウス交響詩英雄の生涯』 Op.40

 リヒャルト・シュトラウス交響詩はぽん太の苦手とするところで、ちょっと苦行を覚悟していたのでが、自分でもびっくりするくらい楽しんで聴くことができました。

 メロディーや和音進行も聴きやすいし、戦争や恋愛などテーマもわかりやすかったです。

 この何層にもなった複雑な音楽は、パソコンにYoutubeでは聞き取れませんね。「生」で聴く価値がありました。

 もちろんペトレンコ、ベルリン・フィルの演奏が素晴らしかったせいもあるでしょう。

 ぽん太は指揮や演奏の良し悪しを云々する力はありませんが、ペトレンコの指揮は情熱的で、戦争のシーンなどは打楽器や金管楽器の音が耳をつんざくような激しさで、モーツァルトベートーヴェンとは全く異なる音楽的世界を体験できました。樫本大進の「英雄の伴侶」のソロも、フレーズの終わりの力の抜き方が絶妙で、魅惑的でありながら俗っぽさがなくあくまでも「音楽」でした。

公演情報

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団来日公演2023年
指揮:キリル・ペトレンコ

2023年11月23日
サントリーホール

公式サイト:https://www.fujitv.co.jp/events/berlin-phil/outline/tokyo.html

プログラムB

 レーガー:モーツァルトの主題による変奏曲とフーガ
 R.シュトラウス交響詩英雄の生涯』 Op.40

代演のソヒエフが大健闘!ウィーンフィル2023年日本公演・11月12日サントリーホール

 2年ぶりとなるウィーンフィルの来日公演に行ってきました。残念ながら今回は予定が合わず、「ツァラトゥストラ」と「ブラームス1番」の1公演のみ。

 やっぱりウィーンフィルの音は素晴らしいですね〜。ツァラトゥストラの有名な冒頭のトゥッティで、いったんディミヌエンドしてから再度クレッシェンドしてティンパニの連打に繋がっていきますが、音量が下がると金管の影から弦が響いてきてザラザラした音色となり、また音量が上がると金管の滑らかな響きに戻っていくのを聞くだけで、惚れぼれしていい気持ちになります。これは(我が家の)ステレオでCDを聴いていても絶対に聞こえてきません。

 

代演のトゥガン・ソヒエフが素晴らしかった

 指揮は元々はフランツ・ウェルザー=メストの予定でした。オーストリア生まれで、今年のウィーンフィルニューイヤーコンサートも指揮しており、ウィーンの香りがする演奏を楽しみにしておりましたが、自身のがん治療のため来日できなくなりました。代演はトゥガン・ソフィエフとのこと。誰れそれ?

 検索してみると、1977年生まれのロシア人とのこと。46歳と若いですが、ウィーンフィルをはじめ名だたるオケを指揮し、コンサートとオペラの両方で活躍しているとのこと。

 この時期ロシア人というのはちょっと微妙ですが、出生地の北オセチアウクライナの南東で、ジョージアに接しており、生粋のロシア人ではなく、ウクライナ人にもシンパシーを感じているかもしれません。実際ソヒエフはロシアのウクライナ侵攻を受け、氏が勤めていたボリショイ劇場トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団音楽監督を両方とも辞任したそうで、国際的なバランス感覚を持っているように思われます。

 今回は音のバランスは悪いけど指揮者を楽しめるP席(舞台の奥のパイプオルガンの前の席)を取っていたので、ソヒエフの指揮ぶりがよく見えました。

 「ツァラトゥストラ」は複雑な曲をしっかりと指揮している印象でしたが、ブラームスになって本領発揮。拍子などはあんまり振らず、ところどころで音楽のニュアンスを指示していきます。時に指揮棒を左手で握り、右手で細かいニュアンスを表現したり。顔の表情も豊か。特に第三楽章は秀逸で、第一バイオリンが旋律を弾き始めるとびっくりした表情で見つめ、そのあとグッと腰を引いて「素晴らしい」とばかりに微笑んだりします。ちょっとユーリ・シモノフの変態指揮が入っている気がします。ひょっとしてどこかで出会ってしまったのでしょうか?

ツァラトゥストラはかく語りき

 冒頭は有名ですが、ぽん太には難解な曲という印象で、あんまり聞いてません。でもリヒャルト・シュトラウスは、新国立劇場でオペラをだいぶ聞いたので、昔よりはちょっと耳が慣れているかも。

 「学問について」の、コントラバスをさらに細分して始まる複雑で抽象的なフーガや、「舞踏の歌」のウィンナー・ワルツなど、所々楽しめました。

ブラームス交響曲第1番

 ソヒエフのこの曲の指揮ぶりは上に書きましたが、たいへん楽しめました。主旋律を強調せず、楽譜に書かれた全ての音符が聞こえてきて、まるで空に広がる雲の複雑な形態を眺めているかのようなような印象でした。曲の構造を強調して闇から光へとドラマチックに盛り上げる演奏とは対極だったような気がします。

アンコールはヨハン・シュトラウスを2曲

 アンコールはヨハン・シュトラウスの「春の声」と「トリッチ・トラッチ・ポルカ」でした。ここでもソヒエフはあまり棒を振らずにオケに任せている感じで、ところどころで効果的に指示を出してました。楽団員も楽しそうに演奏していて、ソヒエフとウィーンフィルの信頼関係が感じられました。

 ウェルザー=メストが来日しないと聞いた時はちょっとがっかりしましらが、想像をはるかに上回る素晴らしい演奏で、観客も盛大な拍手を送ってました。今後の活躍も楽しみです。

公演情報

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団2023年日本公演

トゥガン・ソヒエフ指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

2023年11月12日
サントリー・ホール

公演公式サイト(サントリーホール)

曲目
  R. シュトラウス交響詩ツァラトゥストラはかく語りき』作品30
  ブラームス交響曲第1番 ハ短調 作品68

 アンコール
  J. シュトラウスII世:ワルツ『春の声』作品410
  J. シュトラウスII世:『トリッチ・トラッチ・ポルカ』作品214

唐風の秋篠寺・十一面観音が出品「総合文化展」東京国立博物館(2023年10月)

 特別展「京都・南山城の仏像」のあと、総合文化展を観ました。いわゆる常設展ですが定期的に入れ替えがあり、重文もいっぱいあり、一部を除いて写真撮影もできるので、東博に行ったら必ず寄ることにしています。

 こんかいは秋篠寺の十一面観音が、唐風で面白かったです。

展覧会情報

【展覧会】総合文化展 (常設展)
【会場】東京国立博物館
【観覧日】2023年10月下旬

本館11室 彫刻

重文 毘沙門天立像 奈良・中川寺十輪院持仏堂伝来 平安時代・応保2年(1162)頃 川端龍子寄贈C-1869 (再見)

 どこかで見たお顔だな〜と思って調べてみたら、2018年の「仏像の姿」(三井記念美術館)でお目にかかっておりました。特別展で扱われている京都・南山城付近の奈良側に伝わった仏さまだそうです。下膨れのお顔は怖くなく、全体に穏やかで上品な平安後期の毘沙門天

地蔵菩薩坐像 鎌倉時代・13世紀 常盤山文庫蔵 (初見)

 鎌倉時代地蔵菩薩坐像。右足を崩して結跏趺坐で、すました表情。
 所蔵の常盤山文庫というのはぽん太は初めて聞いたのですが、実業家・菅原通濟(1894-1981)のコレクションが元になっているようです。独自での公開はしておらず、作品寄託先での公開や、貸出しを行なっているそうです(常盤山文庫公式サイト)。

日蓮上人坐像 室町時代・15〜16世紀 常盤山文庫蔵 (初見)


 室町時代日蓮上人の坐像です。袈裟と、右肩から掛けた布(黄被)の模様が細かく掘り出されてます。

慈恩大師坐像 平安時代・11〜12世紀 C-340 (初見)


 なんか平安後期の作にしては暑苦しい感じですね。中国、唐代の僧で、法相宗の開祖だそうです。


 この画像は国宝「絹本著色慈恩大師像」(薬師寺蔵)ですが、眉毛の両端がピンと跳ね上がったお顔や、膝の上で指を違い違いに組み合わせているところなど、そっくりですね。

不動明王立像 鎌倉時代・13世紀 個人像 (初見)

 鎌倉時代不動明王。お顔などの傷みが残念です。直立しており、あまり鎌倉らしい躍動感はありません。

重文 阿弥陀如来坐像 京都府船井郡京丹波町・長楽寺伝来 平安時代・久安3年(1147)  文化庁 (初見)

 解説によると、丹波有力者が息災や安産を祈願して作らせたものだそうです。表情や円文など、平安後期にしては硬い印象があります。

重文 阿弥陀如来坐像 平安時代・12世紀 長野・光明寺蔵 (再見)

 画像(撮影禁止です)
 平安後期の半丈六の阿弥陀如来像で、伊那谷光明寺の所蔵。総合文化展での定番です。

重文 阿弥陀如来坐像 平安時代・12世紀 奈良・法隆寺

 どんな像だか忘れました。

重文 十一面観音菩薩立像 平安時代・9世紀 奈良・秋篠寺蔵 (?)

 画像(撮影禁止です)
 平安時代9世紀の十一面観音。等身大。奈良の秋篠寺の所有ですが、東京国立博物館に寄託されているようです。面長の顔立ちや、衣類のしつこいくらいの装飾性など、異国風です。

菩薩立像 香川県大川郡丹生脇屋庵伝来 平安時代・10〜11世紀 C-1620 (?)

 平安時代10〜11世紀の菩薩立像。ほぼ等身大です。

重文 毘沙門天立像 平安時代・9世紀 和歌山・道成寺蔵 (初?)

 異形の仏像。毘沙門天と天邪鬼が、鼻が三角に尖った同じ顔をしてます。表情だけでなく、鎧や衣類の過剰な装飾も唐風です。

重文 文殊菩薩騎獅像および侍者立像 康円作 奈良・興福寺伝来 鎌倉時代・文永10年(1273) C-1854 (初見?)

 鎌倉時代の渡海文殊。運慶の孫とも伝えられる康円の作。


 渡海文殊といえば安倍文殊院の快慶作がなんといっても有名です(画像)。快慶の方が侍者の一人ひとりのキャラが立っていて、康円は全体におとなしく写実的な印象です。でも康円の善財童子(向かって右から2番目)は、快慶がちょっと入ってる感じがしますね。

 

本館1室 仏教の興隆-飛鳥・奈良

菩薩半跏像 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山出土 飛鳥時代・7世紀 北又留四郎氏他2名寄贈 E-14846 (再見)

 何回か見ている定番の像なので省略。

重文 日光菩薩坐像 京都・金輪寺、京都・高山寺旧蔵 奈良時代・8世紀 C-218 (初見?)

 奈良時代の乾漆造りの日光菩薩。面長で、半跏踏下坐で座っており、優美な印象の像。ところでなんでこの像が日光菩薩だとわかったのでしょうか? 

本館3室 仏教の美術-平安〜室町

重文 伝源頼朝坐像 鎌倉時代・13〜14世紀 C-1526 (たぶん初見)

 源頼朝像というと、甲斐善光寺の像(画像)がよく知られておりますが、こちらは重文。さすがに彫りや造形が見事です。甲斐善光寺の方は上着の裾がびよ〜んと広がってますが、こちらは袴が広がってます。どうしてそのような違いがあるのか、そして何かを広げないといけないのか、ぽん太にはわかりません。

「京都・南山城の仏像」東京国立博物館

 東京国立博物館で開かれている《京都・南山城の仏像》展に行ってきました。

 ぽん太は最初「南山城」の文字を見て「な、なんざんじょう? どこ、それ」と思ったのですが、「みなみやましろ」とのこと。

 京都南部の奈良との県境のあたりを指すようで、このあたりのお寺なら、ぽん太も何度か訪れたことがあります。とはいえ記憶はだいぶ薄れていたのですが、改めて調べてみると、今回の出品作は3体を除いてすべてお目にかかっておりました。

 京都府とはいえ、自然の中にお寺が散在しており、奈良の影響も強い土地柄。京都市内の大寺院の正統派の仏像とは違う、ちょっと素朴でのんびりした雰囲気がぽん太の好みです。

 浄瑠璃寺の九体阿弥陀の修復が2018年(平成30年)から行われ、その完成記念としてこの展覧会が開かれたようです。浄瑠璃寺からは九体阿弥陀のうちの1体と、薬師如来広目天多聞天がおいでになってました。

 真横や背後を見れる仏像も多かったのが良かったです。

展覧会情報

浄瑠璃寺九体阿弥陀修理完成記念 特別展
《京都・南山城の仏像》

【会場】東京国立博物館 本館特別5室
【観覧日】2023年(令和5年)10月25日
【関連サイト】
・展覧会公式サイト:https://yamashiro-tokyo.exhn.jp
東京国立博物館サイト:https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2601
【作品リスト】・作品リスト(pdf)

出品作と感想

重文 十一面観音菩薩立像 木造 平安時代・9世紀 海住山寺

 会場に入るといきなり海住山寺の(かいじゅうせんじ)の十一面観音です。海住山寺公式サイト)は、ぽん太は2013年の秋の特別公開の時に訪れたことがあります(【仏像】二つの重文十一面観音・海住山寺(京都府木津川市): ぽん太のみちくさ精神科)。
 ここには二体の平安時代の重文・十一面観音があります。ひとつは御本尊で、像高は2m弱と大きく、素朴な印象の仏さま(画像)。もうひとつは今回出品された奥の院の御本尊で、像高50cmと小ぶりですが、精緻に彫られた優雅な仏さまです(画像)。後者は通常は奈良国立博物館に寄託されていますが、ぽん太が訪れたときには里帰りして公開されてました。小さい上に横の方に置かれていたので、気が付かずに素通りしている人も多かったです。
 平安時代とはいえ9世紀の作で、掘りも深く、エキゾチックな印象があります。頭上面も小さいのに一つひとつ表情豊かに彫られており、ひとつを除いて当初のものが残っているのがすごいです。

重文 薬師如来立像 木造 平安時代・9世紀 阿弥陀寺

 ついで阿弥陀寺薬師如来立像(2)。ぽん太は阿弥陀寺は訪れたことがありませんが、この仏さまは2018年に東国で開かれた特別展「名作誕生-つながる日本美術」(公式サイト)でお目にかかったことがあります。
 海住山寺の十一面観音と同じく平安初期・9世紀の作ですが、がっしりとしていて、硬い表情で肉髻(頭の盛り上がり)も大きく、衣紋も様式的。優美さではなく、呪術的なパワーを感じさせる仏さまです(画像)。

重文 薬師如来坐像 木造、漆箔 平安時代・9世紀 薬師寺 (初見)

 三番目は、またしても9世紀の薬師如来坐像画像)。こちらは坐像で薬師寺蔵(ちなみに奈良の薬師寺ではありません)。初めてお目にかかりましたが、像高60cm弱の小さな像なのに、とにかく重量感がすごい。前後の厚みもあります。胸もアンコ型の相撲取りみたいで、施無畏印がドスコ〜イと張り手のようです。銅像みたいに表面がすべすべに仕上げられてますが、お顔だけ鑿跡が残っていて鉈彫(なたぼり)っぽくなっているのが不思議です。

重文 十一面観音菩薩立像 木造、漆箔 平安時代、10世紀 禅定寺

 会場でひときわ大きい像高3m弱の巨大な十一面観音は、禅定寺の御本尊。時代はちょっと下って平安時代10世紀の作(画像)。
 禅定寺(公式サイト)は2018年3月に訪れたことがありますが(【仏像】若者っぽい十一面観音さまは必見。禅定寺(京都府宇治田原町): ぽん太のみちくさ精神科)、宝物館の中にたくさんの重文の仏さまが祀られていました。こちらで宝物館のなかの360度パノラマ写真を見ることができますよ。
 精悍な若者のようなお顔、直立不動でちょっと肩をそびやかしたお姿は、古風な印象を受けますが、柔らかな感じもします。

重文 文殊菩薩騎獅像 木造、彩色 平安時代・10世紀 禅定寺

 禅定寺からもう一躯、文殊菩薩騎アザラシ像です(画像)。え?アザサシじゃない、獅子だって? でも耳がないじゃん。耳が取れた跡もないし、最初から耳が無いのかしら?
 ぽん太は文殊菩薩像と聞くと、名前からの連想か、利発そうな美男子を思い浮かべるのですが、この像はお腹もぷっくらして肉付きが良く、幼児体型っぽくて、ちょっとエキゾチックです。ご本尊と同じく十世紀末の作とだそうですが、日本の文殊菩薩像の中では古いものだそうです。

重文 普賢菩薩騎象像 木造、彩色・截金 平安時代・11世紀 岩舟寺

 次の岩船寺(がんせんじ)普賢菩薩騎象像は、一転してとにかく可愛いです。細身でなで肩、華奢なお体で、ちょっと面長なお顔は女の子のようです。「図録」によると、普賢菩薩が6本の牙の白象に乗るお姿は『法華経』に書かれておりますが、法華経は女性も悟りを開けると説くため、平安時代の宮廷女性の信仰を集めたそうです。そんな関係からこのような愛らしい仏さまが作られたのかもしれませんね。
 ぽん太は2017年の「奈良西大寺展」(三井記念美術館)で初めてお目にかかり、2018年3月には岩船寺を訪れて再び拝観いたしました(【仏像】ふくよかな阿弥陀様さまにあゝ癒されます・岩船寺(京都府木津川市): ぽん太のみちくさ精神科)。ちなみに岩船寺は、御本尊の阿弥陀如来も十一面観音様もみんな可愛いく(画像)、また三重塔(重文)ではカワイイ鬼が垂木を支えているので探してみよう!(画像)。

重文 薬師如来坐像 木造、漆箔・彩色 平安時代・11世紀 浄瑠璃寺

 さて、いよいよ今回のメイン、浄瑠璃寺の仏さまたちです。
 浄瑠璃寺には平安時代の九体阿弥陀(くたいあみだ)が祀られております。中央の丈六(約220cm)の像の両側に約140cmの8体の像が並ぶ様は壮観です。2018年(平成30年)から5年をかけて九体阿弥陀の修理が行われたのですが、今回の展覧会はその完成記念だそうです。
 こんかい出品された阿弥陀如来坐像(画像)は、九体阿弥陀のうち向かって一番右の一体。平安時代12世紀のいわゆる定朝様の「ザ・仏像」というお姿。ふっくらしたお顔に眠そうな表情、ふくよかなお体に浅い彫りで表現された衣をまとう穏やかな像です。

国宝 阿弥陀如来坐像(九体阿弥陀のうち) 木造、漆箔 平安時代・12世紀 浄瑠璃寺

 薬師如来坐像画像)は、九体阿弥陀よりやや早い11世紀の作で、浄瑠璃寺の創建当時のご本尊と考えられています。ちょっと表情が厳しいですね。現在は国宝の三重塔の第一層に安置されております。

国宝 広目天立像・多聞天立像(四天王のうち) 木造、彩色・截金 平安時代・11〜12世紀 浄瑠璃寺

 九体阿弥陀の四隅を守る四天王から、広目天画像)と多聞天が出品。平安後期の作で、鎌倉時代のような躍動感はありませんが、静かに立つ姿に秘めたるパワーが感じられます。気高い表情、鎧や衣服も細かく美しく表現されております。美しい彩色や截金(きりかね:金を使って装飾)が残っており、当初のものだそうです。

 地蔵菩薩立像は期間限定公開のため今回はお目にかかれませんでした。
 ぽん太はこれらの仏さまには、2017年秋の秘仏公開のおりに拝観しております(【仏像】吉祥天女像特別公開 浄瑠璃寺(京都府木津川市): ぽん太のみちくさ精神科)。

重文 不動明王立像 木造、彩色 平安時代・12世紀 神童寺 (初見)

 浄瑠璃寺の優美な諸仏から一転して、素朴な神童寺(じんどうじ)の不動明王画像)。な、なんか……利かん坊? 弁髪がなく、まるでパーマヘア。まんまる顔で目鼻が中央に寄ってます。上半身裸で乳首もあり、ズボンを捲って両膝が出ています。
 円珍が感得して絵に描かせ、園城寺三井寺)に秘仏として伝えられる「黄不動」(黄不動 - Wikipedia(画像あり))のお姿だそうです。ぽん太は初めての拝観です。

重文 千手観音菩薩立像 木造 平安時代・12世紀 寿宝寺

 寿宝寺からは三体が出品。まずは千手観音菩薩立像(画像

 千手観音は、「真数千手」と呼ばれる実際に千に近い数の手を持つ像。また手のひらに描かれた目が残っているものもあり「千手千眼観音」でもあります。素地仕上げの美しい仏像です。ぽん太は2017年2月に寿宝寺を訪れて拝観させていただいたことがありますが(【仏像】夜になると目を閉じる!重文の千手観音立像・寿宝寺(京都府山城): ぽん太のみちくさ精神科)、堂の扉を閉じて上からライトをあてると目を閉じているように見え、地域では夜になると目を閉じる像と言われてました。

金剛夜叉明王立像・降三世明王立像 木造、彩色 平安時代・12世紀 寿宝寺

 金剛夜叉明王立像、降三世明王立像(画像)が登場。どちらも素地仕上げで、ちょっと素朴系な印象です。

牛頭天王坐像 木造、彩色 平安時代・12世紀 松尾神社 (初見)

 松尾神社牛頭天王坐像は(画像)、初めてお目にかかりました。目を見開き、平べったい鼻、口を開いて歯を見せており、ホッペと鼻の頭が赤いこともあって少年のように見えます。頭上に大きな牛の頭を乗せています。胴体や脚の造形は素朴系です。

重文 十一面観音菩薩坐像 木造、漆箔、玉眼 鎌倉時代・13世紀 現光寺

 現光寺の十一面観音坐像は、とにかく美しいです。ぽん太は2017年秋の特別公開で拝観したことがあるのですが(【仏像】これは美しい! 十一面観音坐像・現光寺(京都府木津川市): ぽん太のみちくさ精神科)、その時は飾りが両肘まで垂れ下がるような宝冠を付けていて、思わず一目惚れしそうになりました。
 鎌倉時代13世紀の作とのことで、慶派のプロポーションや空間感覚を踏まえながら、のちの時代の装飾性が感じられます。目を薄く閉じた表情も瞑想しているかのようです。また十一面観音の坐像は珍しいそうです。

重文 阿弥陀如来立像 行快作 木造、漆箔、玉眼 鎌倉時代・嘉禄3年(1227) 極楽寺

 鎌倉時代の仏さまがもうひとつ展示されておりました。極楽寺所蔵、行快作の阿弥陀如来立像です(画像)。
 ぽん太は極楽寺を訪れたことはありませんが、2017年に奈良国立博物館で開かれた『快慶展』でこの像にお目にかかっています。
 いわゆる三尺阿弥陀で、像内納入品から、快慶の有力な弟子だった行快の作であることがわかっております。少し厳しい表情で全体に力強い印象があり、快慶の装飾的な美しさとは違うところがあるようです。