ぽん太のよりみち精神科

たんたんたぬきの精神科医ぽん太のブログです。ココログの「ぽん太のみちくさ精神科」から引っ越してまいりました。以後お見知り置きをお願いいたします。

若さゆえの好演!隼人の『女殺油地獄』三月花形歌舞伎(2024年3月南座)

 隼人くん推しのにゃん子につきあって、京都南座まで花形歌舞伎を観に行ってきました。正直あんまり期待してなかったけれど、「女殺油地獄」の隼人くんの与兵衛が素晴らしく、すっかり引き込まれて思わず涙をこぼれてきました。若さが生み出した体当たりの名演だったと思います。

南座花形歌舞伎4年目と、近松門左衛門没後300年

 新型コロナの最中の苦しい時に立ち上げた南座の花形歌舞伎も今回で4年目とのこと。ここまで回を重ねてきたのは立派です。でもけっこう空席が目立ったのがちょっと残念。京都では「東京からよう知らへん若手が来て下手な芝居しとるけど、えらい見〜しまへん」(ぽん太の想像による京都弁。違ってたらごめんなさい)という感じで、みんなで応援しようという風にはなってないようです。いつか「顔見世」に並ぶ南座歌舞伎の名物になって欲しいと思いました。

 今年は近松門左衛門没後300年ということで、「心中天網島」の「河庄」と、「女殺油地獄」が演目に入れられました。またこんかい松プログラムと梅プログラムという名前になってますが、近松の「松」と、彼の辞世の句「それぞ辞世 さるほどにさても その後に 残る桜の花し匂わば」(ぽん太訳:私が死んだ後に、残された作品が輝きを失っていないとしたら、それこそが私の辞世である)の「桜」から取ったそうです。

隼人くんの与兵衛がお見事!『女殺油地獄

 隼人くんが仁左衛門に習って『女殺油地獄』の与兵衛に挑戦しました。

 「豊島屋」が素晴らしく、お吉とのやりとりの中で、一つひとつの型をきっちり丁寧に演じたため、刻々と変化していく心理の変化が明確に伝わってきました。

 自分のためにお吉にお金を託してくれた両親に心から感謝しながらも、でもそれでは金額が足りないと一転するところ。「不義になって貸してくだされ」と狂気が初めてほとばしり出るが、ふと我に帰る具合。お春にすべてを曝け出し男が頭を下げて借金をお願いするが、またいつもの嘘だろうとあしらわれ、「こいつ殺すしかない」と決意する瞬間。与兵衛は借金を断られたからではなく、自分の正直な気持ちがお春に伝わらなかったことの絶望と怒りから、殺しを決意したのだとぽん太は感じました。

 刃を抜いてもなかなか切りかかれない与兵衛。花道で犬に吠えられて怯える様子。小心者でいいところもなくはない与兵衛が、殺人という重大犯罪へと否応なく落ちていく「悲劇」を目の当たりにし、ぽん太は涙がこぼれてきました。

 素直でいいところもあるけど道を踏み外していく与兵衛、そして彼を甘やかしてダメにしてしまう両親など、江戸時代の近松が描き出した世界は現代とまったく違いがありません。そんなところに若い隼人くんが、与兵衛の役に入り込めた理由があるのではないでしょうか。

 ただ前半の方はもうひとつで、上方風の柔らかさ、可愛らしさが出ていませんでした。

 隼人くんはイケメンでスタイルもよく、演技も変な癖がなくって、教わったことを一生懸命演じているのがいいです。先日も仁左衛門に習って「切られ与三」を演じてましたね。仁左衛門のあとを継ぐのは隼人くんしかいないとぽん太は思っており、大いに期待しております。

和事の柔らかみが足りない「河庄」

 「河庄」は近松門左衛門の心中物『心中天網島』の一部ですが、「愛想づかし」と呼ばれるパターンで、本当は愛し合ってながら、女性が男性のことを深く思いやって偽りの愛想づかしをするのですが、事情を知らない男性は女性を恨みます。「河庄」では、紙屋治兵衛の妻おさんの手紙を読んだ芸者小春が、自分が身を引いて自殺する決意をし、治兵衛に偽りの愛想づかしをします。

 重々しい場面なのですが、事情を何も知らない治兵衛とその兄の孫右衛門が、漫才みたいな滑稽なやりとりを繰り広げます。孫右衛門が治兵衛に「座れ、座れ、座れ、座れ」と連呼するところでは、乳首ドリルのように「座んのか〜い」というオチになるのかとぽん太は思いました。以前にどこかのインタビューで、市川染五郎吉本新喜劇が好きで、特にすっちーがお気に入りと言ってたような気がするのですが、ぜひいつか与兵衛を演じてほしいです。

 ただやっぱり東京育ちの隼人くんと右近では、柔らかさとリズム感が足りません。アイドル歌手が真似した上方漫才みたいになってました。やっぱり関西育ちじゃないと和事の柔らかさは難しいようで、大阪出身の吉太朗が演じた丁稚三五郎が、上方風の間や明るさが素晴らしく、とっても面白かったです。

 二人の滑稽なやりとりの間、ずっと悲しみをたたえてうつむいている壱太郎の演技が素晴らしく、その対比が悲しみを際立たせました。

常磐津の大曲に乗せた舞踊劇「将門」

 常磐津の名曲にのせた「将門」は、松プログラムと桜プログラムの両方に入っています。どちらも滝夜叉姫は壱太郎ですが、光圀は松プログラムは隼人、桜プログラムは右近でした。

 またプログラムによってエンディングが変えてあり、松プログラムでは大屋根の上から滝夜叉姫が錦の御旗を投げ広げて幕となりますが、桜プログラムではすっぽんに消えたガマガエルが滝夜叉姫の姿に戻って終わります。 

 踊りは隼人くんより右近の方が柔らかくて上手だったかな。壱太郎初役の滝夜叉姫は見事。

 それから常磐津のタテの方がとても上手でした。きれいな高音だったので若い人が歌っているのかと思ったらタテの方で、高齢なのに素晴らしい喉でした。お名前はわかりませんでした。松竹様、ぜひ唄方や鳴物の名前を、筋書きだけでなくwebでも公開して欲しいです。

 こんかい泊まったホテルの近くを散策していたら、膏薬辻子(こうやくのずし)という名の、古い家並みが残る細い路地を見つけました。 

 案内板です。おわかりいただけただろうか。

 ここはかつて踊念仏で有名な空也上人の道場があり、その一角には平将門の霊を鎮めるための首塚があったそうです(現在の神田神宮)。すごい偶然です。これも何かの因縁でしょうか。

 またこの場所は、大河ドラマ「光る君へ」で町田啓太が演じる藤原公任の屋敷があった場所でもあるそうです。

撮影タイムもあって楽しい〈乍憚手引き口上〉

 両プログラムの冒頭に口上があり、ご挨拶と簡単な演目の解説をしてくれます。ぽん太のときは、それぞれ隼人くんと右近さんでした。

 また撮影タイムもあり、南座のマスコットキャラの「みなみーな」ともども写真を撮ることができます。

 ただ隼人くんが「筋書」と言ってたけど、関西では「番付」です。またお二人とも、将門の話は「源平合戦」とは関係ないと思うぞ。

公演情報

「三月花形歌舞伎」

南座
2024年3月
公式サイト:三月花形歌舞伎|南座|歌舞伎美人

松プログラム   

〈乍憚手引き口上〉(はばかりながらてびきこうじょう)

   近松門左衛門歿後三百年
   近松門左衛門 原作 近松半二 改作
   中村鴈治郎 指導
   心中天網島
一、玩辞楼十二曲の内 河庄(かわしょう)
   紙屋治兵衛  尾上右近
   粉屋孫右衛門  隼人
   丁稚三五郎  吉太朗
   河内屋お庄  菊三呂
   紀の国屋小春    壱太郎

二、忍夜恋曲者(しのびよるこいはくせもの)
  将門

傾城如月実は滝夜叉姫 壱太郎
大宅太郎光圀  隼人

桜プログラム   

〈乍憚手引き口上〉(はばかりながらてびきこうじょう)

   近松門左衛門歿後三百年
   近松門左衛門
   片岡仁左衛門 監修
一、女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)
   河内屋与兵衛 隼人 
   七左衛門女房お吉 壱太郎 
   豊嶋屋七左衛門 尾上右近
   小栗八弥 吉太朗 
   妹おかち 千太郎 
   芸者小菊 千壽 
   兄太兵衛 千次郎 
   掛取庄造 寿治郎 
   叔父山本森右衛門 松之助 
   父河内屋徳兵衛 橘三郎 
   母おさわ  吉弥

二、忍夜恋曲者(しのびよるこいはくせもの)
  将門
   傾城如月実は滝夜叉姫 壱太郎
   大宅太郎光圀  尾上右近

大野和士指揮の繊細で甘美な「トリスタンとイゾルデ」新国立劇場オペラ

 新国立劇場に『トリスタンとイゾルデ』を観に行ってきました。いや〜良かったです。

 ぽん太が前回このオペラを観たのは、調べてみると2007年のベルリン国立歌劇場の来日公演。この間、「前奏曲と愛の死」は動画やCDで何回かは聴いたものの、全幕は17年ぶりでした。

 早寝早起き老人のぽん太、16時開演なら帰りはそんなに遅くはならないだろうと踏んでいたら、45分の休憩を2回挟んで、終演はなんと9時半ごろでした。すっかりお眠になりましたが、大変満足することができました。

 しかしこのオペラ、長時間の楽劇にもかかわらず大きな出来事もなく、数人の登場人物が延々と歌う(会話する)場面が多く、なんだかぽん太は歌舞伎を、さらにストーリーもあいまって近松門左衛門の心中物を思い浮かべました。

ブランゲーネ役の藤村実穂子が出色

 大野和士指揮の東京交響楽団は、例のトリスタン和音が響くピアニッシモの出だしから繊細にして艶やかで、全体としてうねるような甘美な演奏でした。日本のオケの弱点の金管も安定していて不安気なく聞けました。

 演出は2010〜2011年製作の再演ですが、オーソドックスに近い演出であるため、ストーリーに集中することができました。舞台美術も気を衒わず、薄暗い舞台に浮かぶ大きな太陽(あるいは月)が美しさの中に禍々しさを感じさせました。1幕で船が向きを変えるとき、ギシギシいう音がちょっと気になりました。衣装も神話的でよかったですが、船員・手下軍団が上半身裸の武士みたいだったのは日本へのリスペクトか。太陽と、トリスタンから流れる血と、イゾルデのドレスの三つの赤が印象的なラストシーンは印象的でした。

 イゾルデは、都合で出演できなくなったエヴァ=マリア・ヴェストブルックの代わりに、リエネ・キンチャが歌いました。意志を感じさせる力強い声が素晴らしかったですが、「愛の死」とかはもう少し官能的な音色を聴きたかったです。

 トリスタン役のゾルターン・ニャリもトルステン・ケールの代役ながら、艶のある歌声。髭を蓄えたお顔は英雄というより渋いイケメンという感じでした。

 マルケ王のヴィルヘルム・シュヴィングハマーは、見た目はマルケ王にしてはちょっと若すぎるかなと思いましたが、朗々として深みのあるバスからは、マルケ王の風格と苦しみが伝わってきました。

 日本人ではブランゲーネの藤村実穂子が素晴らしかったです。今回の歌手の中で最も透明感のある歌声だったのではないでしょうか。第2幕の密会の場面で響き渡る声は、夜明け前の独特の神秘的雰囲気が感じられました。外人勢に混ざってまったく引けをとらずに全幕を歌い切りました。

公演情報

リヒャルト・ワーグナー
トリスタンとイゾルデ

新国立劇場
2024年3月14日

公式サイト:https://www.nntt.jac.go.jp/opera/tristan-und-isolde/

【指 揮】大野和士
【演 出】デイヴィッド・マクヴィカー
【美術・衣裳】ロバート・ジョーンズ
【照 明】ポール・コンスタブル
【振 付】アンドリュー・ジョージ
【再演演出】三浦安浩 
【合唱指揮】三澤洋史
【舞台監督】須藤清香

【トリスタン】ゾルターン・ニャリ
【マルケ王】ヴィルヘルム・シュヴィングハマー
【イゾルデ】リエネ・キンチャ
【クルヴェナール】エギルス・シリンス
【メロート】秋谷直之
【ブランゲーネ】藤村実穂子
【牧童】青地英幸
【舵取り】駒田敏章
【若い船乗りの声】村上公太

【合 唱】新国立劇場合唱団
管弦楽東京都交響楽団

シウリーナの歌唱力に驚愕「オネーギン」新国立劇場オペラ2024年・付:チャイコフスキーの愛と苦悩

 ぽん太の2024年最初のオペラは、新国立劇場で上演された「エウゲニ・オネーギン」でした。

 プーシキンの原作を元にチャイコフスキーが作曲した名作オペラですが、クランコ振付のバレエ版も有名です。

 チャイコフスキー自身が「オペラ」ではなく「抒情的情景」と呼んだように、劇的な物語やあっと目を惹くスペクタクルこそありませんが、登場人物たちの繊細な心情や人間模様を抒情的に描いた作品で、世界中のオペラファンから愛され続けております。

 今回の公演は、外国人歌手たちのレベルがとても高かったです。特にタチヤーナ役のエカテリーナ・シウリーナの圧倒的な歌唱力が光りました。

 それに反して演出の方はぽん太はちょっと納得がいかず、感動を削がれた気がしたのですが……。

シウリーナを始めとする外国人歌手の魅力に酔いしれる

 コロナ補助金で劇場予算に余裕があったからかわかりませんが、外国人歌手たちが5人も出演し、皆が素晴らしい歌声を聴かせてくれました。

 世界トップクラスのソプラノだというタチヤーナ役のエカテリーナ・シウリーナは、前評判に違わぬ実力を発揮。声が美しく声量もあり、表現力も豊かでした。「手紙の場」ではタチアーナの揺れ動く心情を見事に表現し、最後の「だから思い切ってあなたにこの身を委ねましょう」では声をたかぶらせて歌いきり、盛大な拍手が沸き起こりました。

 オネーギン役のユーリ・ユルチュクは実際はなかなか美男子のようですが、生きるのが下手なオネーギンを見事に演じておりました。歌声も素晴らしかったです。

 レンスキーのヴィクトル・アンティペンコは明るく伸びやかな声質。ちょっとイタリアっぽいコブシ(?)を付け過ぎのような気もしましたが、悪くなかったです。

 グレーミン公爵を歌ったアレクサンドル・ツィムバリュクは、声も姿も温厚で誠実な退役軍人らしかったです。

 今回の外国人歌手陣は、みなロシアやウクライナの出身でしたが、「政治」的な分断を超えて、人類共通の素晴らしい「芸術」を堪能することができました。

 指揮のヴァレンティン・ウリューピンもウクライナ人。抒情的な演奏が見事で、途中何回かの静寂にも引き込まれました。オケは東京交響楽団。新国立合唱団、演技やダンスご苦労様でした。合唱指揮はいつもの三澤さんじゃなくて冨平恭平という方でした。

違和感の多い演出に感情移入できず

 歌手の素晴らしさに比べ、演出は違和感を感じるところが多かったです。

 今回の「オネーギン」は2019年10月に新制作されたドミトリー・ベルトマン演出によるプロダクションの再演です。前回もぽん太は観ているはずですが、なぜか記憶にないところが多く、疲れで時々意識消失していたようです。

 第一幕のセットは、ラーリン邸の背後に紅葉しかかった森が広がりとても美しかったです。しかしタチヤーナとオリガの化粧が少しケバく、オリガの服はピンクでフリルがいっぱい付いて、田舎貴族の姉妹の清楚さが感じられません。「手紙の場」では、夜が明けてから母親とオリガが窓の外から覗いていて、最後にこっそり部屋に入ってきて書き損じた手紙を拾って行きました。いったいどうなるのかと思いましたが、その後特に伏線回収はありませんでした。

 第2幕第1場のラーリン家の宴では、フランス人トリケがヘンテコな化粧と服装の泥酔状態でした。また、オネーギンとレンスキーの決闘沙汰になったというのに、招待された村人たちは、そんなことそっちのけで料理やお酒を貪っている始末。悲劇的な緊迫感が台無しです。決闘の場面でも、オリジナルではオネーギンの介添人は従者ギヨーのはずですが、またしてもトリケが二日酔いのまま登場。なんか重々しい決闘に関する部分を、徹底的におちゃらけさせようとしているかのようです。

 最後のグレーミン侯爵邸の舞踏会では、タチヤーナが真紅のドレスで登場! 娼婦かよ。気品がありつつも貞淑で、娘時代の恋心を思い出しつつもオネーギンの求愛を毅然と退けるラストに感情移入できませんでした。

 それからもうひとつ幕間の件で一言。今回の舞台は休憩が一回で、前半がラーリン家の宴の第2幕第2場までで、30分の休憩を挟み、後半が第2幕第3場の決闘シーンからラストまででした。しかし決闘シーンからグレーミン侯爵邸の舞踏会までは数年間の隔たりがあります。全体の上演時間の関係があったのかもしれませんが、時間的繋がりからいうと、原作通りそれぞれの幕ごとに休憩を挟んで欲しかったです。

ベルトマンの斬新な演出も実はいいのかも

 演出のドミトリー・ベルトマンは、モスクワのヘリコン・オペラの創立者で、どうやら斬新な演出が多いようです。「オネーギン」はこれまで8回演出したそうですが、ストックホルムの公演では舞台をイケアにしたり、ペテルブルグ公演では駅を舞台にして登場人物を全員旅行者にしたそうです(新国立劇場 オペラトーク『エウゲニ・オネーギン』(ダイジェスト版) - YouTube)。

 今回の演出は1922年のスタニフラフスキーの演出を踏まえているそうです。スタニフラフスキーはロシア革命前後に活躍した俳優・演出家で、俳優が「役を生きる」ことを求め、スタニフラフスキー・システムと呼ばれる教育法を生み出し、その後の演劇に多くの影響を与えたとネットに書いてありましたが、ぽん太にはよくわかりません。またスタニスラフスキーの演出がどういうもので、今回の舞台のどの部分に反映されているのかは、検索してもよくわかりませんでした。

 舞台装置に使われたギリシャ風の円柱を持つファサードは、スタニフラフスキーが「オネーギン」の上演を行った自宅兼スタジオの内装を模したもので、Stanislavski on Operaという本に写真が載っているそうです(新国立劇場「オネーギン」とスタニスラフスキーの「オネーギン」 | 演出家・翻訳家「家田 淳」公式Website)。この本にスタニフラフスキーの演出がどういうものだったか書かれていそうですが、今はこれ以上よりみちする元気がないので、今後の宿題にしたいと思います。

 ラーリン家の宴では、オネーギンとレンスキーが決闘することになったというのに、村人たちは食事や酒に群がっています。またグレーミン侯爵の舞踏会では、貴族たちはまるで個性を失ったロボットか何かのような不気味さが感じられます。どちらも群衆というものの勝手さ、愚かさを表現しているんだそうです(ベルトマン演出のオペラ『エウゲニ・オネーギン』―作品とその観どころ | 新国立劇場 オペラ)。

 ぽん太はこれまでオネーギンが変人で諸悪の根源のように思っていたのですが、よく考えると彼はこのオペラの主人公ですし、生きるのは下手だけど憎めないところもあるのかもしれません。一般人だって変だよな〜というのも一理あるかも。あるいは村人たちや貴族たちは、オネーギンの心象風景なのかも……。手紙を書いたタチヤーナを諌めるシーンも冷酷さや侮辱は感じられなかったし、ラーリン邸の宴ではレンスキーが嫉妬で怒り狂うのを見て、自分の浅はかな行動を後悔してました。クランコ振付のバレエ「オネーギン」では、オネーギンはタチヤーナの手紙を破り捨てる演出なので(タチヤーナも仕返しとばかりにラストでオネーギンの手紙を破り捨てます)、それと記憶が混ざっていオネーギンが悪いやつだとぽん太は思ってしまったのかもしれません。ぽん太はこれまでよりちょっとオネーギンに同情できるようになりました。

 そしてラストシーン。舞台下手にはタチヤーナが脱ぎ捨てた赤いドレスが、そして上手には彼女が少女の頃から愛読していた本が投げ出されます。タチヤーナが部屋を去ったあと、オネーギンが手に取ったのは……。観た人はわかりますネ。

 いろいろ調べてゆっくり考えてみると、けっこう面白い演出だったのかも。なんだかもう一度観たくなってきました。

チャイコフスキーの愛と苦悩

 チャイコフスキーが『エウゲニ・オネーギン』を作曲したのは1877年から1878年にかけてですが、この時期にアントニーナ・ミリューコヴァとの結婚と短期間での破綻という出来事があったことはぽん太は知ってました。しかしチャイコフスキーが無謀な結婚に踏み切った理由が、同性愛関係にあったウラジーミル・シロフスキーと決別するためだったということは、こんかい初めて知りました(インタビュー&コラム|『エウゲニ・オネーギン』公式サイト|新国立劇場 オペラ)。

 ミリューコヴァは、モスクワ音楽院で教師をしていたチャイコフスキーの生徒でした。恋心を抱いた彼女は、チャイコフスキーに熱烈なラブレターを送りました。誰とでもいいから結婚したいと決意したチャイコフスキーは、1877年7月18日に彼女と電撃的に結婚しました。しかし結婚生活は悲惨なもので、チャイコフスキーは直ちに結婚を後悔するようになり、精神的にも崩壊しかかってモスクワ川に胸まで浸かって歩き回ったりしたあげく、羽生結弦くんの105日より短い結婚後わずか6週間後、発狂寸前の状態でモスクワを離れました。ペテルブルグで彼を診察した精神科医は、重症と判断したそうです。

 しかし結婚前の7月初旬に「オネーギン」の大部分のスケッチを描き終えたいたチャイコフスキーは、交響曲第4番と並行しながら、1878年の1月20日にはほぼ全体のオーケストレーションを完成させ、1899年3月17日には初演が行われました(エフゲニー・オネーギン (オペラ) - Wikipedia)。してみると精神科医の端くれのぽん太から見ると、チャイコフスキーの精神症状はストレスが原因の急性一過性のものだったと思われます。

 ミリューコヴァは離婚を受け入れず、戸籍上はチャイコフスキーの妻、そして未亡人であり続けたそうです(『名作オペラ・ブックス(25)エウゲニ・オネーギン 』)。

 で、今回の公演をきっかけに、前回公演(2019年10月)時のベルトマンのインタビュー記事(インタビュー&コラム|『エウゲニ・オネーギン』公式サイト|新国立劇場 オペラ)を読み返してぽん太は初めて知ったのですが、チャイコフスキーが好きでもないミリューコヴァと電撃結婚した理由は、当時関係があったウラジーミル・シロフスキー(男性です)と決別するためだったそうです。

 シロフスキーはモスクワ音楽院におけるチャイコフスキーの生徒でしたが、チャイコフスキーに多額の経済的支援を行い、裕福だったため湯水のようにお金を使ったそうです。やがて二人は親密な関係になり、モスクワ中の人々の口の端にのぼるようになりました。この関係を清算するためチャイコフスキーは誰とでもいいから女性と結婚しようと考えたのだそうです。

 ちなみにチャイコフスキー交響曲第3番はシロフスキーに献呈されております。また「オネーギン」の台本を手伝ったジャーナリスト・作家のコンスタンティン・シロフスキーは、彼の兄だそうです。

 この逸話がどの程度立証された史実なのかぽん太はわかりませんが、チャイコフスキーが同性愛者だったことはよく知られているので、さもありなんと思われます。

公演情報

「エウゲニ・オネーギン」
ピョートル・チャイコフスキー

新国立劇場オペラハウス
2024年1月25日

公式サイト:エウゲニ・オネーギン | 新国立劇場 オペラ

【指 揮】ヴァレンティン・ウリューピン
【演 出】ドミトリー・ベルトマン
【美 術】イゴール・ネジニー
【衣 裳】タチアーナ・トゥルビエワ
【照 明】デニス・エニュコフ
【振 付】エドワルド・スミルノフ
【舞台監督】髙橋尚史

【タチヤーナ】エカテリーナ・シウリーナ
【オネーギン】ユーリ・ユルチュク
【レンスキー】ヴィクトル・アンティペンコ
【オリガ】アンナ・ゴリャチョーワ
【グレーミン公爵】アレクサンドル・ツィムバリュク
【ラーリナ】郷家暁子
【フィリッピエヴナ】橋爪ゆか
【ザレツキー】ヴィタリ・ユシュマノフ
【トリケ】升島唯博
【隊 長】成田眞

【合唱指揮】冨平恭平
【合 唱】新国立劇場合唱団

管弦楽】東京交響楽団

醍醐寺伝来の平安仏、如意輪観音像と二童子像が加わった半蔵門ミュージアム常設展

 半蔵門ミュージアムに京都醍醐寺伝来の平安仏、如意輪観音菩薩坐像と二童子像が加わったと聞き、見に行ってきました。

 これらの仏像が加わるのは常設展なので、今後は継続的に拝観できることになります。なかなか見事な仏像で、こうした仏像を無料で拝観できるとは有り難い限りです。

 なお、それを記念して「初公開の仏教美術 如意輪観音菩薩像・二童子像をむかえて」という特別展が行われておりますが、こちらに展示されているのは墨書や絵画、中国の石仏などです。

京都の醍醐寺半蔵門ミュージアムに寄贈

半蔵門ミュージアム真如苑

 半蔵門ミュージアムは、宗教団体真如苑が所有するビルの中にあります。このミュージアムは、真如苑が所有する仏像を展示するために、2018年に開設されました。

 真如苑は仏教の真言宗系の宗教団体で、本部は東京都立川市にあります。元々は1936年に開創されましたが、1951年に名称が真如苑に変更され、1953年に宗教法人の認証を受けました。芸能人の信者も多いようですね。

 2008年、運慶作と言われる大日如来像が海外オークションにかけられ、あわや海外流出かと騒がれましたが、真如苑が落札して流出が食いとめられました。仏像はしばらく東京国立博物館に寄託されたのち、新たに造られた半蔵門ミュージアムで公開されることになりました。なんと入場無料。海外のお金持ちの私的コレクションになって死蔵されたりせず、多くの人が拝観できるかたちとなって良かったです。

半蔵門ミュージアム醍醐寺

 真如苑の開祖が京都の醍醐寺で修行をしたことから、真如苑醍醐寺は関係が深いようです。

 醍醐寺京都府伏見区にあり、真言宗醍醐派の総本山。広大な境内を持ち、国宝を含む数々の文化財を有しています。公式サイトはこちらです(世界遺産 京都 醍醐寺)。ぽん太の醍醐寺に関する過去のブログを下にリンクしておきます。

【仏像】国宝薬師三尊、五大明王など。醍醐寺(京都): ぽん太のみちくさ精神科

【仏像】「京都・醍醐寺-真言密教の宇宙-」サントリー美術館: ぽん太のみちくさ精神科

 半蔵門ミュージアムには、以前から醍醐寺伝来の不動明王が展示されておりましたが、今回さらに如意輪観音と二童子像が寄贈され、修復を経て展示されることになりました。

新たに加わった醍醐寺伝来の平安仏

外国っぽいお顔で珍しい座り方の如意輪観音

 この如意輪観音さまにお会いして驚くのは、外国風な顔立ちと、不思議な座り方です。

 お顔は今回の修復時に、後世に顔に塗られていた木屎漆(こくそうるし:粉末にした木に漆を混ぜてペースト状にしたもの)を除去したところ、このような外国風のお顔が現れたそうです。平安時代の10世紀に作られたということで、ガンダーラ風の仏像の影響が残っているのでしょうか。

 次に座り方ですが、普通は如意輪観音は「輪王坐」(りんのうざ)という座り方をします。

 上の写真はWikipediaから滋賀県園城寺如意輪観音です。右膝を立て、左足の裏の上に、右足の裏を乗っけてます。右手は右膝の上に乗せ、左手は地面についてます。安定してゆったりとした姿勢ですね。

 ところが今回の像は、左足は下に垂らし、右足の甲を左足の腿の上に乗せ(半跏踏下坐:はんかふみさげざ)、そこから右膝を上に持ち上げたかたちです。この姿勢をとるには、右腿の内側や右脇腹の筋肉にかなり力を入れる必要があります(みんなも真似してみよう)。なんか不安定で不自然なポーズですが、密教的なパワーと神秘性が感じられます。

平安後期らしいおっとりした二童子

 矜羯羅童子と制多伽童子の二童子像は、平安後期らしいおっとりとして雅やかなお姿。たとえば伊豆の願成就院鎌倉時代の運慶のリアルで躍動的な姿(寺宝 | 天守君山 願成就院 公式ホームページ)とは全然違いますね。

 この二童子は、通常は不動明王の両脇に置かれるのが普通で、まとめて不動三尊像と呼ばれます。実際この二童子は、先に半蔵門ミュージアムにいらっしゃっていた不動明王坐像が醍醐寺にいた頃、その両脇に置かれて不動三尊像として祀られていました。しかしこれらは当初からセットで作られたものではなく、本来別々のものが組み合わされたものだそうです。

 今回二童子半蔵門ミュージアムに来たことで、醍醐寺の仲間たちがまた顔をあわせることになりました。但し不動三尊像の形式ではなく、不動明王の右側に二童子が安置されておりました。

その他の気になった出品作

 運慶作の可能性が高い大日如来(10)は、何度見ても素晴らしかったです。

 隣に新たに、X線内視鏡によって明らかになった、大日如来の像内納入品の模型が展示されておりました。この納入品があることが、運慶作と言われる根拠のひとつにもなっているそうで、とても興味深かったです。

 また特別展の江戸時代に描かれた刀八毘沙門天(20)は、よく見る毘沙門天の進化形といった感じで、顔が3つ手が10本あり、8本の刀を振りかざし、獅子の上に乗るといったもの。なんか仏さまというよりキャラという感じでした。

 大正時代の山崎弁栄作の阿弥陀三尊像(22)の墨画がありましたが、山崎弁栄(やまざきべんんねい)といえば、明治から大正にかけて浄土宗の社会運動である光明主義運動(こうみょうしゅぎうんどう)を行なって人で、光明主義は以前にちょっと関心を持ったことがあったので、興味深かったです。

 

半蔵門ミュージアム
2023年11月22日〜

料金:無料
公式サイト・https://www.hanzomonmuseum.jp
チラシ・初公開の仏教美術.pdf
出品目録・出品目録.jpg

【仏像の出品作】○重要文化財

10 ○ 大日如来坐像 木造 漆箔 玉眼 像高61.6cm 鎌倉時代 建久4(1193)?
11   如意輪観音菩薩坐像 木造 古色塗り 像高136.5cm 平安時代 10世紀
12a 不動明王坐像 木造 彩色 像高82.7cm 平安時代 12世紀
12b 不動明王像 光背・台座 康正作 木造 彩色・漆箔 江戸時代 慶長11(1606)年
13   二童子立像 木造 彩色・截金 像高 矜羯羅童子94.0cm 制多伽童子94.5cm 平安時代 11〜12世紀

「年始ご挨拶」が復活!隼人くんが与三郎を熱演 新春浅草歌舞伎第1部

 新春浅草歌舞伎を観に行ってきました。妻にゃん子の「推し」の隼人くんが切られ与三郎を演じるとのことで、おつきあいで第1部を観劇。

 今年は松也らの座組になってから10年目の節目となる年なので、演目に古典の大作をそろえているそうです。

 浅草公会堂の入り口には外人さんが大勢並んでました。そうか、それで3階席が売り切れてたのか……。今回は奮発してうん十年ぶりに1階席をとってみました。やっぱり近くの方が臨場感があっていいですね。

4年ぶりの〈年始ご挨拶〉

 浅草歌舞伎の名物〈年始ご挨拶〉、ついに復活しました!

 2021、2022年は新型コロナで休演。昨年は浅草歌舞伎は開催したものの〈年始ご挨拶〉は行われず、定式幕を閉じたままのアナウンスでした。

 〈年始ご挨拶〉は役者さんの素顔の表情に触れられる貴重な機会で、新春浅草歌舞伎の楽しみのひとつ。復活して良かったです。

 当日の担当は莟玉くん。素顔も可愛いですね。ただ今回は演目が長いため、挨拶が短かかったのが残念でした。

若手が全力で挑む「十種香」

 第1部の最初は『本朝廿四孝』の「十種香」。米吉くんが歌舞伎のガッキーこと八重垣姫に挑みました。丸顔で可愛らしい米吉ももう30歳。若さによる美しさから、芸による美しさへの移行が期待される年齢となりました。これからも楽しみに見ていきたいです。

 武田勝頼が登場した時ぽん太は最初は誰だかわからず、チラシを見てやっと橋之助とわかりました。スマートになりましたね。父親ゆずりの荒事だけではなく、こういう二枚目役もできそうですね。

 新悟の濡衣が芝居を締めました。種之助の白須賀六郎 、巳之助の原小文治もキビキビしてました。長尾謙信の歌昇は若いけど貫禄がありました。

隼人くんの「切られ与三郎」

 「源氏店」は隼人くんの与三郎、米吉のお富。

 米吉のお富は口調が玉三郎にそっくりでした。演出も昨年4月の歌舞伎座で演じられた仁左衛門玉三郎のものと同じで、玉三郎に習ったのかしら? 米吉は「十種香」のお姫様役よりも、ちょっとあだっぽいお富さんの方が合ってました。

 そしてにゃん子の「推し」の隼人くんが与三郎。スーパー歌舞伎では活躍しているようですが、古典ではまだまだですな(偉そうですみません)。カッコイイですけど。隼人くんは仁左衛門に習ったのかしら。なかなか仁左衛門の後継者が見当たりませんが、隼人くも有力候補。ぜひ精進を続けて欲しいです。

 蝙蝠の安は松也。巧みだけど声が野太すぎるうえに一本調子。もっと強弱緩急のメリハリが欲しいです。

 多左衛門の歌六はさすがの貫禄。橘太郎の藤八も芝居を締めてました。

勢揃いの「どんつく」で締め

 江戸の賑やかな雰囲気の舞踊「どんつく」で第1部は終了。若手が集まると華やかですね。歌昇の花籠鞠も見事でした。

公演情報

新春浅草歌舞伎

2024年1月第1部
浅草公会堂

公式サイト・新春浅草歌舞伎|浅草公会堂|歌舞伎美人

お年玉〈年始ご挨拶〉  中村莟玉

一、本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう) 十種香
   八重垣姫 中村 米吉
   武田勝頼  中村 橋之助 
   腰元濡衣  坂東 新悟 
   白須賀六郎  中村 種之助 
   原小文治  坂東 巳之助 
   長尾謙信  中村 歌昇

  三世瀬川如皐
二、与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)
  源氏店
   切られ与三郎  中村 隼人 
   妾お富  中村 米吉 
   番頭藤八  市村 橘太郎 
   蝙蝠の安五郎  尾上 松也 
   和泉屋多左衛門  中村 歌六

三、神楽諷雲井曲毬(かぐらうたくもいのきょくまり)
  どんつく
   荷持どんつく  坂東 巳之助 
   親方鶴太夫  中村 歌昇 
   太鼓打  中村 種之助 
   大工  中村 隼人 
   子守  中村 莟玉 
   若旦那  中村 橋之助 
   芸者  中村 米吉 
   白酒売  坂東 新悟 
   田舎侍  尾上 松也

普段は拝観できない仏像がいっぱい・特別展「足柄の仏像」神奈川県立歴史博物館

 足柄とは神奈川県西部・湘南の地域を指すそうで、大雑把に言うと、神奈川県のうち小田原より西の地域です。

 この地域には多くの仏像が伝えられていますが、非公開のものが多いので個人で廻るのは大変です。今回はそうした仏像を一度に拝観できる貴重な機会で、約90体の仏像が出品され、そのうち8割が通常非公開、4体の重要文化財が含まれています。滅多にない企画ですね。

 あまりに多すぎてすべての仏像にコメントするのは困難なので、いくつか選んで感想を書きたいと思います。

博物館の横浜らしい西洋建築も見所

 神奈川県立歴史博物館は横浜の馬車道に面しており、横浜らしい歴史を感じさせるおしゃれな洋風建築です。建物を見るだけでも楽しいです。

 元々は1904年に建てられた横浜正金銀行本店で、設計は妻木頼中(つまきよりなか)。ネオ・バロック様式の堂々たる建物。1967年から神奈川県立博物館となり、1995年から神奈川県立歴史博物館として運営されております。

主な仏像の感想

重要文化財の4体

 こんかい4体の重文の像が出品されました。4体は少ないと思う人もいるかもしれませんが、そもそも神奈川県にある重文の仏像は約80体なので、その20分の1が来たことになります。

 これらの4体は、ぽん太は以前に拝観したことがあります。

 万巻上人坐像(14)画像)と男神・女神坐像(15)男神画像女神画像)は箱根神社の所蔵で、箱根神社宝物館で拝観することができます。箱根神社はいつも観光客で大賑わいですが、この宝物館はなぜかガラガラ。仏像(神像)に興味がある方は、ぜひお立ち寄りをお勧めします。

 万巻上人は奈良時代の僧で、箱根権現を創設した人。像は平安時代前期のもので、眉間に皺を寄せた厳しい表情で、威厳が感じられます。

 男神・女神坐像は平安時代11世紀の作。箱根神社本殿の奥深くに安置され、歴代の住職さえ目にすることがなかったそうです。仏像とは異なり人間っぽいお顔で、男神は優しそうに微笑み、女神は慎ましやかな表情を浮かべております。

 箱根神社からは他に神奈川県指定文化財の2体、男神坐像(14)画像)と女神立像(17)画像)が出品されますが、男神は銅造であるのが珍しく、衣冠束帯をまとってちょっと意地悪役人っぽい感じ。女神は左腕を頭上にあげていて、頭を掻いているわけではなく、舞を舞っているとも言われています。

 箱根神社にはこれらを含めて全部で8体の神像があり、「箱根神社神像群」と呼ばれています。

 もう一体の重文は、他阿真教坐像(56)(画像)です。他阿真教(たあしんぎょう)は鎌倉時代の僧で、時宗の二祖(二代目の代表者)で、本像は上人が83歳で亡くなる前年に作られました。手の血管などが細かく表現されており、歪んだ顔は医者の端くれのぽん太が見ても右顔面神経麻痺であることがわかるくらい正確です。

生きている仏像

 小田原市本誓寺の鎌倉時代阿弥陀如来立像(50)画像)は、わずかに開いた口の中に白い歯が見え、いわゆる「歯吹阿弥陀」と呼ばれるジャンルです。作例は全国的にも多くなく、加藤諄は19体を挙げておりますが、ぽん太が拝観したことがある山形県慈恩寺の「歯吹きの弥陀」(木造阿弥陀如来立像 - 山形の宝)も入っていないので、実際はもう少しあると思われます。

 歯吹阿弥陀の意味については諸説あるようで、『無量寿経』に「お釈迦様が微笑んだところ、口の中から光を発し、世界中を照らした」と書かれており、それを表現したものだという説や(歯吹きの阿弥陀 - 新纂浄土宗大辞典)や、生きている仏を表しているという説があるようです。

 歯吹阿弥陀の足の裏には「仏足文」(ぶっそくもん)と呼ばれる紋様が彫られていることが多く、その中心が「転法輪」(てんぽうりん)と呼ばれるデザインで、仏が法を説くことを表していることから、仏が歩いて説法するという意味合いが見て取れます。こうしたことから、歯吹阿弥陀は「生きている仏」を表している考えがしっくりくるようにぽん太は思います(歯吹如来造像の疑問点について)。

 実際この本誓寺の像は、目元や口周り、胸の肉付きの表現がとても生々しいように、ぽん太には感じられます。

 もうひとつ小田原市の東学寺の南北朝時代釈迦如来立像(65)画像)も、「清凉寺式釈迦如来像」と呼ばれるジャンルで、生きている釈迦如来像を意味しています。

 京都の清凉寺の釈迦如来像は987年に宋からもたらされました。縄が渦を巻くような髪型、両肩を覆う通肩と呼ばれる法衣、胸元の同心円状の衣紋、裙(くん)と呼ばれる巻きスカートの裾が二段になっているなどの特徴があり、これまでの日本の仏像とは全く異なった姿で、仏陀が生きていた頃の姿を写した像だとされました。

 さらに1954年の修理の際に、像内に絹で作られた内蔵の模型が収められていることがわかり、現存する世界最古の内蔵模型と言われております(清凉寺木造釈迦如来立像 - Wikipedia)。

 清凉寺の釈迦如来が伝来指定から100年以上経った鎌倉時代以降、この像の模刻像を造ることが流行しました。今回出品されている東学寺の像もそのひとつですが、表情や、首をちょっと前に突き出した姿など、なんだかとっても怪しげな雰囲気を漂わせています。

漫画っぽい仏像

 箱根町阿弥陀寺の江戸時代の弾誓上人坐像(77)は、見た瞬間「なんだこりゃ〜」という感じで、いわゆる「上人像」の予想を裏切り、ギザギザの前髪や伸びたヒゲなど、なんか漫画のキャラっぽいです。合掌する手や、衣服の表現はすごく上手なのに、なんでこの顔なの?

 弾誓(たんぜい)上人(1552 - 1613)は安土桃山から江戸初期にかけての僧。尾張出身で、各地を遍歴し、京都大原の阿弥陀寺などを創建しました。相模も訪れ、箱根町阿弥陀寺の岩屋で修行をしたそうで、それを描いた絵巻『弾誓上人絵詞伝』が隣に展示されておりました。でもそちらはこんな変な髪型じゃありません。

ローマ彫刻っぽいイケメン神像

 大磯町六所神社に伝わる男神立像(40)画像)は、平安時代に作られた神像です。神像というと、上で触れた箱根神社の神像のように、なんかモワッとした表情のものが多いですが、この像はとってもリアルで、眉間に軽く皺を寄せた、渋い系のイケメンです。軽く腰を捻って左足を前に出し、右手を下げたポーズも仏像ではちょっと見慣れない感じで、ローマの彫刻のような雰囲気があります。下げた右手に円盤投げの円盤でも持っているような気がします。

展覧会情報と出品リスト

特別展「足柄の仏像」

神奈川県立歴史博物館
2023年10月7日〜11月26日

公式サイト:https://ch.kanagawa-museum.jp/exhibition/8887

出品目録:出品目録(pdf)

下の動画で館内を観ることができます。

出品一覧(仏像のみ)
重要文化財 ○県指定 □市町指定

14 ◎ 万巻上人坐像 木造  平安時代 9世紀 箱根町箱根神社
15 ◎ 男神・女神坐像 木造  平安時代 11世紀 箱根町箱根神社
16 ○ 男神坐像 銅造  平安~鎌倉時代 12~13世紀 箱根町箱根神社
17 ○ 女神立像 木造  平安~鎌倉時代 12~13世紀 箱根町箱根神社
18 ○ 菩薩像頭部 木造  平安時代 12世紀 箱根町・興福院
19 ○ 普賢菩薩坐像 木造  鎌倉時代 永仁5年(1297) 箱根町・興福院
20 □ 十一面観音懸仏 大芝遺跡出土 銅造  鎌倉時代 13世紀 箱根町教育委員会 箱根町立郷土資料館保管  
21 □ 菩薩形懸仏 大芝遺跡出土 銅造  鎌倉時代 13世紀 箱根町教育委員会 箱根町立郷土資料館保管
22 □ 懸仏鏡板 大芝遺跡出土 銅造  鎌倉時代 13世紀 箱根町教育委員会 箱根町立郷土資料館保管
23 □ 獅噛座 大芝遺跡出土 銅造  鎌倉時代 13世紀 箱根町教育委員会 箱根町立郷土資料館保管 24 ○ 聖観音菩薩立像 木造 平安時代 11世紀 南足柄市・朝日観音堂 上怒田自治会管理
25 ○ 毘沙門天立像 木造 平安時代 10~11世紀 南足柄市・朝日観音堂 上怒田自治会管理
26 ○ 毘沙門天立像 木造 平安時代 11世紀 南足柄市・朝日観音堂 上怒田自治会管理
27 ○ 天部立像 木造 平安時代 11世紀 南足柄市・朝日観音堂 上怒田自治会管理
28 ○ 天部立像 木造 平安時代 11世紀 南足柄市・朝日観音堂 上怒田自治会管理
29 ○ 天部形立像 木造 平安時代 12世紀 南足柄市・朝日観音堂 上怒田自治会管理
30 ○ 天部形立像 木造 平安時代 12世紀 南足柄市・朝日観音堂 上怒田自治会管理
31 ○ 神形立像 木造 室町時代 15世紀 南足柄市・朝日観音堂 上怒田自治会管理
32 ○ 神形立像 木造 室町時代 15世紀 南足柄市・朝日観音堂 上怒田自治会管理
33 ○ 比丘形立像 木造 時代不詳 ― 南足柄市・朝日観音堂 上怒田自治会管理
34 ○ 比丘形立像 木造 時代不詳 ― 南足柄市・朝日観音堂 上怒田自治会管理
35 ○ 比丘形立像 木造 時代不詳 ― 南足柄市・朝日観音堂 上怒田自治会管理
36 ○ 菩薩形立像 木造 平安時代 12世紀 南足柄市・朝日観音堂 上怒田自治会管理
37 ○ 如来形立像 木造 時代不詳 ― 南足柄市・朝日観音堂 上怒田自治会管理
38 ○ 如来形立像 木造 時代不詳 ― 南足柄市・朝日観音堂 上怒田自治会管理
39 ○ 如来形立像 木造 時代不詳 ― 南足柄市・朝日観音堂 上怒田自治会管理
40 ○ 男神立像 木造 平安時代 11~12世紀 大磯町・六所神社
41 ○ 女神立像 木造 平安時代 11~12世紀 大磯町・六所神社
42 ○ 薬師如来坐像 木造 平安時代 11世紀 南足柄市・保福寺
43 ○ 十一面観音菩薩立像 木造 平安時代 11世紀 南足柄市・保福寺
44 □ 薬師如来坐像 木造 平安時代 10~11世紀 南足柄市・中沼薬師堂 中沼自治会管理
45 □ 阿弥陀如来立像 木造 平安時代 11~12世紀 南足柄市・日影公民館 日影自治会管理
46 □ 薬師如来立像 木造 平安時代 12世紀 中井町・泰翁寺
47   薬師如来及び両脇侍像 木造 平安時代 11~12世紀 小田原市法輪寺
48 □ 釈迦如来及び両脇侍坐像 木造 3 平安時代 11~12世紀 小田原市京福
49   菩薩面 木製 平安時代 承安4年(1174) 箱根町阿弥陀寺
50 ○ 阿弥陀如来立像 木造 鎌倉時代 13世紀 小田原市・本誓寺
51  ○ 阿弥陀如来立像 木造 鎌倉時代 13世紀 小田原市・本誓寺
54   阿弥陀如来立像 木造 鎌倉時代 延応元年(1239)小田原市蓮台寺
55 □ 阿弥陀如来坐像 木造 鎌倉時代 13世紀 南足柄市・龍福寺
56 ◎ 他阿真教坐像 木造 鎌倉時代 文保2年(1318) 小田原市蓮台寺
57   文殊菩薩立像 木造 鎌倉時代 12~13世紀 箱根町阿弥陀寺
58 ○ 薬師如来坐像 木造 鎌倉時代 13世紀 大井町三嶋神
59   地蔵菩薩及び二童子南足柄市・弘済寺
      □ 地蔵菩薩坐像 木造 鎌倉~南北朝時代 14世紀
        掌善童子・掌悪童子立像 木造 南北朝時代  14世紀
60   男神(伝弥勒菩薩)立像 木造 鎌倉時代 13世紀 小田原市・勝福寺
61   地蔵菩薩面部 木造 鎌倉~南北朝時代 14世紀 小田原市・南蔵寺
62 □ 聖観音菩薩立像 木造 南北朝時代 14世紀 松田町・延命寺
63 □ 薬師如来立像 木造 南北朝時代 14世紀 松田町・延命寺
64 □ 十一面観音菩薩立像 木造 室町時代 15世紀 松田町・桜観音堂 宝寿院管理
65 ○ 釈迦如来立像 木造 南北朝時代 14世紀 小田原市・東学寺
66   菩薩遊戯坐像 木造 鎌倉時代 13世紀 静岡県小山町・乗光寺 阿弥陀如来観音菩薩立像 木造 江戸時代 17世紀
67   阿弥陀如来及び両脇侍立像  大井町・最明寺
      阿弥陀如来観音菩薩立像 木造 江戸時代 17世紀
      □  勢至菩薩立像 銅造 鎌倉時代 13世紀
68 □ 阿弥陀如来立像 木造  室町時代 16世紀 松田町・庶子自治会 松田町生涯学習センター保管
69   北条時頼坐像 木造  南北朝時代 14世紀 大井町・最明寺
70   十一面観音菩薩立像 石造 鎌倉時代か 14世紀か 真鶴町・瀧門寺 
67   木造 3 14世紀 59 南足柄市・弘済寺 地蔵菩薩及び二童子像 
71 □ 千手観音菩薩立像 長勤作 木造 室町時代 永禄5年(1562) 箱根町・興福院
72   菩薩坐像 石造 室町時代 15世紀 真鶴町・瀧門寺
73   男神立像 木造 室町時代 15世紀 湯河原町五所神社
74 □ 土肥実平・土肥遠平坐像 木造 2 江戸時代 17~18世紀 湯河原町・城願寺
75   聖観音菩薩坐像 木造 江戸時代 17世紀 湯河原町・城願寺
76   釈迦如来坐像 木造 江戸時代 17世紀 小田原市・福泉寺(城山)
77   弾誓上人坐像 木造 江戸時代 17世紀 箱根町阿弥陀寺
79   菩薩立像 木造 江戸時代 19世紀 南足柄市・弘済寺
80   僧形立像 木造 江戸時代 19世紀 大井町・市場公民館

重文銅造大日如来をはじめとする平安まで遡る諸仏「国府津山 宝金剛寺-密教美術の宝庫-」鎌倉国宝館

 2023年秋に鎌倉国宝館で行われた特別展「国府津山 宝金剛寺密教美術の宝庫-」を見に行ってきました。

 宝金剛寺(ほうこんごうじ)は小田原市という近場にありながら、仏像の拝観は2年に1度の秋の文化財公開の時しかできません。しかも博物館ということで明るいところで背後からも観ることができます。重要文化財を含む平安時代の仏像も含まれており、なかなか見応えがある展覧会でした。

 仏像以外にも絵画や文書、仏具なども展示されておりますが、このブログでは仏像だけを取り上げます。

岡田信一郎設計の校倉造風の建物

 鎌倉国宝館は鶴岡八幡宮の境内にあります。建物はコンクリート造りですが、畦倉造りを意識した高床式になっております。内部は寺院風になっており、仏像を展示するのではなく祀る空間にふさわしいです。

 竣工は1928年。設計は岡田信一郎(1883 - 1932)で、鳩山一郎邸(現鳩山会館)や、ひとつ前の歌舞伎座で有名ですね。

金剛寺について

  宝金剛寺(ほうこんごうじ)は829年に、弘法大師十大弟子の一人杲隣大徳(ごうりんだいとく)によって創建された、東寺真言宗のお寺です。元は地青寺(ぢしょうじ)という名前でしたが、室町時代に宝金剛寺に改名されました。また国府津護摩堂とも呼ばれ、江戸時代には隆盛を誇ったようです。

平安時代の重文を含む諸仏

優雅な平安時代の銅造大日如来坐像

重文 大日如来坐像 銅像 鍍金 像高38.3cm 平安時代 12世紀

 今回の出品作のうちピカイチの仏さまです。像高約40cmと小さめですが、お顔もお姿も非常に美しく整っていて、雅やかさが感じられます。銅像ですが印を結ぶ指の細かいところまで表現されていて、高い鋳造技術が想像されます。

 智拳印を結んだ金剛界のお姿。お顔は丸顔で、整ったお優しい表情。体も自然なプロポーションで、柔らな印象です。

 平安後期らしい優雅で美しい仏さまです。

本尊の平安時代、木造地蔵菩薩立像

県指定 地蔵菩薩立像 木造 素地 像高49.9cm 平安時代 10世紀

 宝金剛寺秘仏御本尊で、普段は本堂須弥壇上の厨子に安置されております。像高50cmとあまり大きくありません。ずんぐりとした体型で、衣紋の流れも様式的で古風、全体的に素朴さが感じられます。衣服の表現に混乱もあり、地方仏と考えられます。ただ瞑想しているかのようなお顔は美しく、お姿全体に温かみが感じられ、本尊として祀られ、愛されて来たのが理解できます。

市指定 如意輪観音菩薩坐像 銅像 像高4.9cm 平安時代 10世紀

 下のリンクの写真を見ると、なにやら形が乱れているように見えますが、像高がたったの5cmと知ると、その精巧さに驚くことでしょう。上のご本尊地蔵菩薩の光背にある龕に納められているちっちゃな像です。地蔵菩薩如意輪観音の組み合わせに関しては、ぽん太はよく知りません。

鎌倉末期の不動明王及び二童子立像

県指定 不動明王及び二童子立像 木造 彩色 玉眼 像高 不動明王77.0cm、矜羯羅童子29.0cm、制吒迦童子30.3cm 鎌倉時代 延慶2年(1309)

 鎌倉後期の不動明王像と二童子像。慶派を踏まえた立体感のあるプロポーションだが、運慶の時代の躍動感は乏しく、装飾性が増してきています。両目は正面を睨み、上の歯で下唇を噛みしめるタイプの表情。

 像内には経典・舎利塔・文書など28点もの納入品がぎっしりと収められていたそうで、それらも併せて展示されておりました。

金色に輝く薬師如来坐像と日光・月光菩薩

市指定 薬師如来坐像 木造 金泥塗り・漆箔 像高60.3cm 平安時代 11世紀 画像

 像高60cmと坐像としてはやや大きめで、金泥を塗られて光り輝いており、存在感がある仏さまです。ちょっと変わった表情で、衣紋の彫りも深く、定朝様以前の11世紀の作とされております。両腕や玉眼は後補で、表面仕上げは関東大震災後に新補されているそうです。本堂が北条氏の薬師堂(護摩堂)だった頃のご本尊と考えられていますが、いつ頃どのようにこの寺に持ち込まれたのかは不明だそうです。

日光菩薩月光菩薩立像 木造 金泥塗り・古色塗り 玉眼 像高 日光菩薩69.9cm、月光菩薩70.3cm 江戸時代 元禄9年(1696)

 薬師如来の脇侍として江戸時代に作られたもので、古風な印象でよくできていますが、お顔がなんか仮面みたい。皮膚は金泥、衣類は古色で仕上げられています。

ペプシマンのような誕生釈迦仏

誕生釈迦仏 銅造 像高12.9cm 鎌倉時代 14世紀 画像

 釈迦は生まれた直後に7歩あゆんで天と地を指差し「天上天下唯我独尊」と唱えたという伝説がありますが、その姿を表現した誕生釈迦仏です。一般的には下半身に布を巻いた姿で作られますが、この像は全裸で、しかも肉体の表現が生々しく、銅造で表面がツルッとしていることもあいまって、なんかペプシマンみたいでちょっと気持ち悪いです。

なぜかお寺に神像

稲荷明神立像 木造・素地 像高 俗形像18.6cm、天部形像13.5cm 江戸時代 安静6年(1859)

 2体からなる稲荷明神立像で、俗形像は「大黒様」みたいな狩衣・袴姿の男神像です。また天部形像は狐に乗った天女の姿で、江戸時代以降は神仏習合の元で稲荷神と同一視された、茶吉尼天(だきにてん)です。稲荷明神=茶吉尼天信仰は、真言宗と関係が深いそうです。

 伊勢原の大山寺から、廃仏毀釈のおりにいくつかの像が宝金剛寺に移されたそうで、これらの像もそれにあたるのだそうです。

その他の仏像

如意輪観音菩薩坐像 木造 金泥塗り・漆箔 玉眼 像高25.8cm 室町〜桃山時代 16世紀 画像

 室町〜桃山時代の、装飾性があり工芸品の様に美しい如意輪観音菩薩像です。 

毘沙門天立像 木造 古色塗り 像高30.4cm 室町時代 16世紀

 まとまった形の室町時代の小像。

大威徳明王騎牛像 木造 古色塗り・彩色 玉眼 像高42.3cm 江戸時代 17世紀

 これま大山寺から移されたものだそうです。迫力ある明王に比べ、のんびりした顔で横座りする牛がかわいいです。

理源大師坐像 木造 彩色 玉眼 像高37.7cm 江戸時代 寛保3年(1743)

 理源大師とは、醍醐寺の開祖の聖宝(832〜909)のことで、東寺長者・別当東大寺別当も務め、山林修業にも力を注いだそうです。

弘法大師坐像 木造 素地・漆箔 像高16.2cm 江戸時代 文久3年(1863)

 像高16センチと小さな江戸時代の弘法大師像。

基本情報

特別展「国府津山 宝金剛寺密教美術の宝庫-」
鎌倉国宝館
2023年10月21日〜12月3日

金剛寺公式サイト:https://www.hohkongohji.jp/inews0.html

出品リスト:出品リスト.jpg

画像は公式サイトにもあり、また本文中にもリンクを貼ってありますが、下の動画は見やすいし、画像が見当たらない仏像も映ってます。