2023年1月中旬、調布市にある布多天神社に、ちょっと遅い初詣に行ってきました。
神社の裏手の森にゲゲゲの鬼太郎が住んでいたことや、つげ義春の『無能の人』の舞台になっていることでも有名ですね。
布多天神社の紹介はいろいろあるので、このブログではちょっとマニアックな情報をお届けします。
- 御由緒:「延喜式」に載る古社で、以前は多摩川に近い古天神にあった
- ホントの本殿は覆われていて見えません
- 御神牛像:菅原道真と牛の関係
- 布多天神は元々は菅原道真を祀ってなかった
- 旧御神木:2003年に放火されたときに神の使いの蛇が現れた
- 調布に住んでた保坂俊彦の「砂像 ゲゲゲの鬼太郎」
- 水木しげるやつげ義治によって描かれてます
- マッシュルームカットの狛犬
- 近くにある大正寺の中国風の門と、養豚で授業料無料にした布田郷学校
- 基本情報
御由緒:「延喜式」に載る古社で、以前は多摩川に近い古天神にあった
社伝では第11代崇仁天皇の御代に造られたといいますが、在位期間も不明な伝説の時代ですから、詳細は不明です。史実としては927年に完成し全国神社一覧である『延喜式神名帳』に名前があるので(下のリンクの右ページ)、それ以前に造られたことになります。
元々は多摩川に近いところにありましたが、洪水を避け室町時代の1477(文明9年)に現在の場所に移されました。以前の場所として伝わる「古天神」は、現在は古天神公園として整備されています。ここからは、石器時代から江戸時代に至るさまざまな時代の遺跡が出土しております。
ホントの本殿は覆われていて見えません
向かって右が拝殿で、1986年(昭和60年)の新しい建物。本殿は、覆殿(本殿を覆う建物)の中にあるため見ることができません。本殿は市指定文化財。棟札から江戸時代中期の宝永3年(1796年)に建立されたことがわかっています。
狛犬です。解説版によると、建立は寛政8年(1796年)で、願主として「惣氏子中」と並んで「惣商人中」と書かれており、現在も境内で行われている市が、当時から開かれていたことがわかるそうです。調布市内最古の狛犬だそうです。
上の写真は向かって右。毬や子犬がないシンプルなスタイル。後ろ足や前足の筋肉の表現がリアルで力強いですが……。
向かって左です。あれあれ?こっちは足の表現が様式的ですね。どちらかが補修されているのだと思いますが、どっちかなあ。
御神牛像:菅原道真と牛の関係
御神牛の像です。天神様には牛が付き物です。菅原道真が亡くなったとき、亡骸を運んでいる牛が足を止めたところを墓所と定めたからです。この像も悲しみに動かなくなった様子を表しているそうです。
その他にも道真と牛にまつわる伝説はいろいろあるようで、下にリンクしたサイトが詳しいです。それによると、上に書いた以外に下のような説が見つかるそうです。
①菅原道真は丑年生まれだった。
②菅原道真に「天満大自在天神」という神号が与えられたが、仏教では「大自在天神」は白牛に乗るとされていることから。
③道真のもう一つの神号に「日本太政威徳天」があり、元となる大威徳明王は牛に乗っているから。
④道真が牛車を引く牛を可愛がったことから。
⑤道真が太宰府への旅の途中で命を狙われた時、白牛に助けられたことから。
いろいろありますね。
布多天神は元々は菅原道真を祀ってなかった
ところで、この牛像の案内板によると、作られたのは1990年(平成2年)。ちょっと新しすぎる気がします。でもそれには理由があるのかもしれません。
というのも布多天神社の御祭神は本来は少彦名神(すくなひこなのみこと)でした。菅原道真が合祀されたのは、室町時代に布多神社が現在地に移された時です。
あれれ?「天神社=菅原道真を祀った神社」じゃないの?と思う人も多いと思うので、整理しておきます
①元々、菅原道真とは無関係な「天神社」と呼ばれる神社があった。
②903年の道真の死後、朝廷の要人や天皇の子が次々と亡くなり、道真の怨霊のしわざと考えられた。
③930年に清涼殿に雷が落ち多くの要人が亡くなる事件があり、雷神となった道真の怨霊の仕業とされた。
④これらの事件を受けて、947年道真は北野天満宮に「天満大自在天神」として祀られるようになった。
(※道真がいつ頃から天神と考えられたか、「天満大自在天神」の名がいつ与えられたかについてはネット上でいくつかの説あるようですが、確認する元気はありません。)
⑤その後、天神社と、菅原道真(天満大自在天神)を祀る天満宮がさまざまな形で混同されていった。
こんな感じでしょうか。
旧御神木:2003年に放火されたときに神の使いの蛇が現れた
御神木(旧)です。
樹齢500年というケヤキの古木でしたが、2021年(令和3年)に寿命が尽き、倒壊の危険があることから伐採されました。
罰当たりなことに2003年(平成15年)に御神木が放火される事件がありましたが、消火中に御神木に棲んでいたと思われる蛇が姿を現し、神の使いと話題を集めました。御神木はそれ以来少しづつ衰弱したそうです。現在はこの木の種から育てた若木が、新しい御神木として守られております。
調布に住んでた保坂俊彦の「砂像 ゲゲゲの鬼太郎」
「砂像 ゲゲゲの鬼太郎」です。作者はサンドアーティスト(砂像彫刻家)の保坂俊彦。調布市に15年間ほど住んでたことがあるそうです。芯もなければ接着剤なども使っておらず、砂に水を混ぜて固めたものを掘って作るんだそうです。11月30日の水木しげるの命日に完成したそうですが、1ヶ月半たった今でも形を留めているのがすごいです。
水木しげるやつげ義治によって描かれてます
水木しげるは調布に昭和34年から住んでおり、水木プロダクションも調布にあります。ゲゲゲの鬼太郎の家は、本殿の裏の森にある想定だそうです。
また漫画といえば、つげ義春の『無能の人』の「カメラを売る」にも布田天神が描かれており、骨董市の風景や、鳥居に向かって主人公親子が消え去っていく姿が描かれております。下記のサイトがわかりやすいです。
マッシュルームカットの狛犬
手前の狛犬の得点が高いです。マッシュルームヘアですね。
「マッシュルームカット 狛犬」で画像検索すると、全国に作例があるようです。なにか本家本元の図象があるんだと思いますが、よくわかりません。
近くにある大正寺の中国風の門と、養豚で授業料無料にした布田郷学校
布多天神の鳥居から出てちょっと先の左側に、中国のお寺のような見事な門があります。大正寺というお寺だそうです。1915年(大正4年)に、栄法寺、實性寺、不動院の3つのお寺が合併して、元々栄法寺があったところに造られました。この山門は栄法寺から移築されたものだそうです。また栄法寺は、明治時代の神仏分離までは布多天神社の別当寺(神社を管理するお寺)だったそうです。内部は拝観できませんでした。
大正寺の門の隣に、「布田郷学校跡」の碑がありました。
布田郷学校(ふだごうがっこう)は、1871年(明治4年)に、私塾を元に当時の栄法寺に開設されました。養豚場を経営することで授業料を取らないというユニークなものでしたが、経営不振から3年後に閉鎖されたそうです。
基本情報
布多天神社
御祭神:少名毘古那神・菅原道真公
住所:東京都調布市調布ヶ丘1-8-1
公式サイト・http://fudatenjin.or.jp
訪問日:2023年1月中旬