ぽん太のよりみち精神科

たんたんたぬきの精神科医ぽん太のブログです。ココログの「ぽん太のみちくさ精神科」から引っ越してまいりました。以後お見知り置きをお願いいたします。

高尾山・これまで行ったことがない仏舎利塔と林野庁殉職者慰霊碑を訪れる

 運動不足解消のため、高尾山に登ってきました。琵琶滝コースを登り、帰りは1号路から琵琶滝に下る定番のコースでしたが、これまで何度も高尾山に登りながら1度も訪れたことがない、仏舎利塔林野庁職者慰霊碑を初めて訪れました。

琵琶滝コースの飛び石付近が凍結

 朝起きてから思い立って出発したので、登りはじめはお昼前。

 計画していた稲荷山コースは整備のため通行止めになっており、琵琶滝コースに変更しました。冬の平日だというのに、けっこうたくさんの登山客がいたのにはびっくりしました。高尾山の常連みたいな人たちに、どんどん抜かれてしまいました。

 飛び石あたりが凍結。さすがに皆さん凍結には慣れていないようで、滑りやすい氷の中央をよろよろと登ってました。ぽん太とにゃん子は道の端の土や石が露出しているところを選んでスイスイと登り、一気に20人抜き返しました。

 山頂からは、やや霞んでいましたが、富士山がバッチリ見えました。

仏舎利塔周辺

  帰り道、せっかくなので、これまで一度も行ったことがないところに立ち寄ってみました。

 まずは仏舎利塔です。1号路を下っていき、男坂と女坂に分かれるところで、真ん中の参道のような道を登っていきます。

 このあたりは「有喜苑」とも呼ばれているようですが、あまりメジャーじゃない呼び名ですね。いつ頃からそのように呼ばれているのかはよくわかりません。

献眼を讃えてライオンズクラブが建立「愛眼千手千眼観音

 まず石仏が目に入ります。周りの幟(のぼり)には「愛眼千手千眼観音」と書かれています。四臂(四本の腕)は立体的に掘り出されております。千手は光背にレリーフで表現されおり、よく見ると一つひとつの手のひらに目があります。確かに千手観音の手のひらにはそれぞれ目があると言われ、それを表現した像も少なくありません。頭部に多数の顔を持つ、十一面のお姿ですね。

 素人っぽさのない整ったプロポーションで、千手にもさまざまな持物がきれいに彫り出されて、美しく見事な仏さまだと思います。

 ちょっと見にくいですけど、傍にある碑文です。

 「献眼の碑」というタイトルで、平成14年に作られたようです。東京八王子ライオンズクラブがアインバンク運動を推進してきたが、結成30年をきっかけに、献眼された方々を称えるために「高尾山千手千眼観音菩薩像」を建立したとのことです。

 こちらのライオンズクラブのサイト(クラブで建立した観音像と献眼碑の清掃 | 取材リポート | ライオン誌日本語版ウェブマガジン)に観音像と献眼碑の清掃活動の様子が書かれています。日本のライオンズクラブは、初期からアイバンク運動に力を入れてきたようですね。当時高尾山薬王院貫主だった大山隆玄大僧正がクラブメンバーだったことからこの場所が選ばれ、下絵は八王子市在住の日本画家橋本豊治、彫刻は当時メンバーだった田中浩嗣だそうです。

「高尾山修験根本道場」屋外護摩焚き施設?

 奥へ進むとなにやら結界のようなものがあり、「高尾修験根本道場」と書かれている。

 柵で囲まれた敷地の中央には円形の石が置かれていますが、上部は焦げたようになっていて、どうやら護摩が焚かれるようです。周囲には石柱が象徴的な感じに配置されてます。


 正面奥には、不動明王が飯綱大権現(向かって左)と天狗(右)を従えて立ってます。なかなか迫力ある像ですが、近代に造られたように思えます。

 どういう歴史がありどのように使われているのかはよくわかりませんが、薬王院公式サイトによると薬王院が主催する「信徒峰中修行会」や「八十八大師巡拝」において護摩が焚かれるようですので、屋外の護摩修行場として使われている可能性があります。

 高尾山は修験道と深い関わりがあり、関東修験根本道場とされてきたことは高尾山薬王院公式サイトにも書かれていますが、詳しいことは検索してもよくわかりませんでした。

ボーイスカウトとタイにゆかりの「仏舎利塔

 仏舎利塔は、一際目立つ純白の建物です。

 仏舎利とはお釈迦さまの骨のことであり、それを納めた塔が仏舎利塔です。高尾山の塔はタイの形式ですが、日本ではいわゆる三重塔や五重塔がこれにあたります。

 1930年(昭和5年)から翌年にかけて、少年団日本連盟(現ボーイスカウト日本連盟)の一行がシャム国(現タイ王国)や南洋諸島を訪れましたが、友好の印として国王ラーマ7世から仏舎利が贈られました。仏舎利はしばらく東京都慰霊堂に安置されておりましたが、1956年(昭和31年)に高尾山にこの仏舎利塔が建立され、そこに納められました(「仏舎利塔奉安結縁牌懸仏法要厳修」高尾山報(H28.11.1).pdf高尾山仏舎利法要奉仕-ボーイスカウト八王子地区)。

 仏舎利が仮安置されていたという東京都慰霊堂は、1930年(昭和5年)に完成。当初は関東大震災の被害者の遺骨を納める霊堂で、「震災記念堂」という名前でした。その後、第二次世界大戦東京大空襲で亡くなられた方の遺骨も納められるようになり、1951年に「東京都慰霊堂」という名前になりました。現在約16万人のご遺骨が納められ、さまざまな宗教を取り込んだ建物も有名で、ぽん太が行ってみたいと思っているところのひとつです(慰霊堂の歴史 - 都立横綱町公園)。

 このような経緯からか、東京都慰霊堂から移された仏舎利を納める高尾山仏舎利塔の周囲には、硫黄島戦没者やシベリア抑留者などの戦争関連の慰霊碑がいくつもあり、さらに東日本大震災の被害者追善の塔もあります。高尾山の慰霊の場所になっているようです。

苦しみが消える「苦抜け門」と「三密の道」

 仏舎利塔の横になにやら怪しげな門が。何の模様かな?と思ったら、「苦」の字の口の中を通り抜ける、その名も「苦抜け門」。向こう側の石段は「三密の道」と名付けられ、下っていくと男坂に通じており、そこにも「苦抜け門」が設置されています。

 平成26年8月28日に落慶した施設のようです(「苦抜け門」が建立されました。 – 高尾登山電鉄 スタッフブログ)。くぐったおかげでぽん太も苦しみからすっかり解放されました。

林政の殉職者を祀る「林野庁殉職者慰霊碑」

 男坂と女坂の合流地点(登りの場合は分岐点)から女坂をわずかに登ったところ、道路が少し広くなって右手に「高尾山自然休養林」の案内板が立ってますが、ここから右手前に登る道があります。

 少し登るとなにやらモニュメントの裏側に出ますが、回り込むと広場になっております。

 神変山(標高500m)、ぽん太は初登頂です。どこが山頂かはわかりませんが。

 さっきの仏舎利塔はタイ様式でしたが、こちらは西洋風ですね。古代風の衣装をまとった女性たちが歩いてます。最初の人は木の枝を持ち、続くのは斧とノコギリ?

 丸太の上に置かれた枝とヘルメット。

 「林野庁殉職者慰霊碑」だそうです。

 案内板によると、林業行政に従事して殉職した人々の慰霊顕彰のため、昭和37年(1962年)に建立されたそうです。

 林業で殉職と聞くとなんだか昔の話のように思えますが、2019年にも、マダニの感染症とハンターの誤射で亡くなった方が合祀されたそうです(今年度林野庁殉職者慰霊式を行い2柱を合祀 | 日本林業調査会(J-FIC))。

 ここからは東へ下っていくと、1号路に合流します(というか、下から登ってきた時はこちらが正式な入り口)。

基本情報

山域:奥多摩・高尾
山名:高尾山(599.3m)、神変山(500m)
日付:2023年1月26日
天気:快晴
メンバー:ぽん太、にゃん子
コース:駐車場11:39…(琵琶滝コース)…13:00高尾山山頂13:36…(1号路)…仏舎利塔…14:14神変山(林野庁殉職者慰霊碑)…霞台園地…琵琶滝…15:06駐車場