ぽん太のよりみち精神科

たんたんたぬきの精神科医ぽん太のブログです。ココログの「ぽん太のみちくさ精神科」から引っ越してまいりました。以後お見知り置きをお願いいたします。

『特別展 無冠の仏像—伊豆・静岡東部の無指定文化財』上原美術館

 2023年の12月上旬、ぽん太とにゃん子は下田の上原美術館に仏像を観に行ってきました。『無冠の仏像ー伊豆・静岡東部の無指定文化財』という特別展ですが、国宝や重文の名品展がメジャーな博物館で大々的に行われるなか、あえて文化財指定を受けていない仏像を集めて展示したところに意気込みを感じます。

 一般的に使われる「未指定」ではなく、「無指定」文化財という用語をあえて使ったのも、文化財指定を望んでいない所有者の気持ちに配慮したものだそうです(無冠の仏像ー伊豆・静岡東部の無指定文化財|上原美術館通信 No.19(pdf))。

 上原博物館は、独自に伊豆・静岡東部の仏像の調査を長年続け、地元の寺社との信頼関係を築いており、地道な活動は頭が下がる思いです。

 このブログでは、上原美術館大正製薬社長上原正吉夫妻との関係『無冠の仏像ー伊豆・静岡東部の無指定文化財』に出品された仏像をご紹介いたします。

上原美術館創始者上原正吉夫妻

上原正吉大正製薬の生みの親

 上原美術館の名前の由来は?と思ったら、敷地の一角に「上原正吉先生夫妻像」がありました。

 でも、誰それ?

 かたわらの案内文を読んでみると、なんと大正製薬株式会社の生みの親とのこと。(狸の)医療の世界をなりわいとするぽん太ですが、知らなんだ、あゝ知らなんだ。

 どれどれ、大正製薬の公式サイト(沿革|大正製薬)で会社の沿革を調べてみると……。

 大正元年(1912年)「大正製薬所」創業。なるほど、大正元年創業だから「大正製薬」という名前にしたのか。

 社長は石井絹治郎とのこと。違うやん。上原正吉じゃないやん。

 1946年に上原正吉が社長に就任。ああ、創業者じゃないんですね。1948年に大正製薬株式会社に名称を変更。その後、パブロン、アイリス、リポビタンDなどを売り出し、大正製薬は大企業に成長。なるほど、そういうことで大正製薬「株式会社」の「生みの親」なんですね。

上原正吉夫妻の仏像コレクションが上原美術館の始まり

 で、上原美術館がどのようにできたかというと(概要 | 上原美術館)、1983年に上原正吉・小枝夫妻の寄付に基づき上原仏教美術館開館。この年は正吉氏が他界した年ですね。また美術館ができた場所は、奥様の小枝さんの生まれ故郷なんだそうです。

 1988年、上原昭二(正吉の息子さんです)の寄付で上原近代美術館が開館。2017年、上原仏教美術館上原近代美術館が一つになって、上原美術館が誕生とのこと。上原夫妻の私的コレクションだった仏像と、息子さんの近代美術コレクションが合体して、この美術館ができたということのようです。

 さらに上の碑文によると、この上原夫妻の銅像は、「日本を代表する彫刻家、富永先生により」造られたとのこと。誰それ? 知らんがな。

 検索してみると、富永直樹(1913〜2006)ですね。富永直樹 - Wikipediaを見てみると、東京美術学校出身で文化勲章を受賞。確かに日本を代表する彫刻家のようですが、検索してみたけど残念ながらぽん太が知っている作品はありませんでした。

 富永は三洋電機のインダストリアルデザイナーとしても有名で、4号電話機や、大ヒット商品のプラスチック・キャビネットラジオSS-52型(画像→◆富永直樹生誕100年記念展③ | 安中千絵の食ブログ)などを手がけたそうです。

 また上原美術館の隣に向陽寺というお寺がありますが、昭和53年に夫妻が再興したお寺で、夫妻はこちらのお寺に眠られているそうです(向陽寺(静岡県稲梓駅)の投稿(1回目)[ホトカミ])。

 今回の展覧会に、向陽寺所蔵の素敵な仏像が展示されております。

それぞれの出品作の感想

 それでは今回の展覧会に出品された仏像の感想を、簡単に書きたいと思います。

 画像があるものにはリンクを張っておきましたが、上原美術館制作の下の動画でも、すべての仏像の画像と解説を見ることができます。

 「1 彫像断片」は撮影が許可されております。

 伊豆国市の国清寺に伝わる300点以上の彫像の断片のうち、130点が展示されていました。
 仏像とはいえ時の流れのなかでさまざまな理由で劣化していくのでしょう。「仏像でさえも……」と、この世の無常が意識されます。

 「3 四面神像」(画像)は、像高23cmと小さいながら、高い精神性が感じられる平安時代の神像。ひとつの身体に4つの顔を持っています。墨で長い髪が描かれていることから、4つとも女神と考えられるそうです。富士山の麓の裾野市にある、その名も茶畑浅間神社に祀られているということで、ぽん太にはこの像の形が富士山そのものに見え、また女神は木花開耶姫であるように思えます。

 「4 随身像」は、同じ茶畑浅間神社に伝わる2体の像で、四面神像の両側に置かれておりました。損傷が激しいですが、一体の顔が横向きで、四面神像の方を見ているのが珍しいです。

 「5 不動明王」はかなり朽ちていて、顔の表情は粘土を盛り上げて作ってあります。上原美術館の調査によって、平成元年に発見されたものだそうです。上原美術館は、単に金持ちが集めた仏像を展示してのではなく、地域のお寺と信頼関係を築いた上で、地道な調査研究を行っており、頭が下がる思いです。

 「6  薬師如来像」(画像)は、お顔を補修して目を書き込んでしまい、やっちまったな〜という感じですが、どうしてどうして全体としては非常に整った平安後期の仏像です。薬師如来と言われていますが、壺を持つ左手は後補で、元々は阿弥陀如来だったとも考えられるそうです。

 「7 阿弥陀如来像」(画像/)は、上で書いた、上原美術館に隣接する向陽寺に伝わる像。像高約40cmとそれほど大きいものではないけれど、とても整った美しい像です。ちょっと少年っぽい表情も魅力的。年代は10世紀後半まで遡ることができ、伊豆半島で最古の阿弥陀如来だそうです。

 「8 如来像」、「9 十一面観音像」(画像)は、今回出品されていない薬師如来像とともに、三島市の長福寺に三尊像として祀られているそうです。三つとも平安仏。如来像は、そのあたりにいそうなお顔で、親しみが感じられます。いっぽう十一面観音はとても整ったお姿。概形の身を表す頭上仏は、令和元年の修理で成形したものとのこと。ともに令和元年に上原美術館の調査によって見出されたもので、今後の研究が待たれます。

 河津町地福院の「10 吉祥天像」(画像:地福院(静岡県河津町)— 破損しつつも女性らしき暖かさと美しさを感じさせる吉祥天 – 祇是未在)は、かなり破損が進んでいて痛々しいけれど、ふっくらしておちょぼ口の優しいお顔に救われます。下田の尾ヶ崎ウイングのところにあった薬師堂で、長く薬師如来として祀られてきた像で、60年に1度しか御開帳されない秘仏だったそうです。

 如意輪観音の優美なお姿が好きなぽん太とにゃん子ですが、「11 如意輪観音像」(画像)はなんか違和感を感じます。お顔がおっさんっぽいし、状態はほぼ直立で、宝珠を持つ右手や天を指差す左手は斜めに傾いています。これ60年に1度公開される秘仏で、長く馬頭観音として信仰されてきたそうです。

 河津町・林際寺の「12 観音菩薩像」は、平安時代10世紀の作で、とくに身体に古風な印象があります。お顔は下側によっていておちょぼ口のため、少年っぽい印象があります。

 「13 毘沙門天像」(画像:毘沙門天立像 | 富士山の裾野・光明寺)は裾野市光明寺の感応堂に、「14 大日如来像」・「15 伝阿弥陀如来蔵」・こんかい未出品の不動明王とともに祀られているそうです。上の画像を見ると、ひょろっとしていて、右肩・右腕がさがっていて、プロポーション崩壊しているようにも見えますが、見る角度によっては躍動感が感じられます。

 光明寺の二つ目の仏像「14 大日如来像」(画像:大日如来坐像 | 富士山の裾野・光明寺)は、一度見たら忘れられないちょっと生々しい像。出品目録では室町後期〜桃山時代となっておりますが、図録では桃山時代〜江戸時代前期となっております。鎌倉時代に運慶によってひとつのピークを迎えた仏像は、室町時代になって装飾的になり、桃山〜江戸になると見せ物っぽくなっていったようにぽん太は思います。この像も、特異な表情がちょっと不気味で、体もぬめっとしていて腹回りには贅肉もあり、さわると汗の湿り気が感じられそうです。神々しさとはまったく違う存在感があり、ぽん太にはなんと形容詞していいのかわかりません。

 「15 伝阿弥陀如来像」(画像:如来坐像(にょらいざぞう)(伝阿弥陀如来) | 富士山の裾野・光明寺)は、「14 大日如来像」と同じ作者により同時期に作られたと考えられていますが、玉眼が入っていた左目が損傷したのか、当て木をした上に目が描かれているため、お岩さんというか、にゃん子が白内障手術をした後のプラスチック眼帯装着時のようで、不気味さが倍加しております。しかし全体のお姿は大日如来よりもフツウのようです。阿弥陀如来として信仰されてきましたが、印相から釈迦如来とも考えられております。

 「16 神王像(閉口)」から「20 如来像」までの宗徳寺の諸像は損傷が激しいです。中でも目を引くのは「19 僧形像」で、節がいっぱいあって捻れた木が使われています。右のこめかみあたりには大きな窪みさえあります。わざわざこのような木を使ったということは、この木が霊木や御神木だったと思われます。

 「21 観音菩薩像」は、像高16.1cmと小さいですが、とても細かく造りこまれており、細かい截金細工や、髷の美しい髪の流れなど、鎌倉時代の素晴らしい仏さまです。

 「22 十一面観音像」も像高18.1cmと小さい仏さまですが、「21 観音菩薩像」とは異なり全体に装飾的で、大きめのお顔は涼やかな表情、脚の上の衣紋も装飾的ですね。院派の特徴を持つ仏さまです。

基本情報

『特別展 無冠の仏像ー伊豆・静岡東部の無指定文化財
上原美術館 仏教館  (静岡県下田市宇土金341)
会期:2022年10月8日〜2023年1月9日
公式サイト・https://uehara-museum.or.jp/exhibition/past-exhibition/mukan-no-butsuzo/
プレリリース・文化財指定のない「無冠」の仏像、寺外初公開の平安仏など約20点を展示 | 上原美術館のプレスリリース | 共同通信PRワイヤー

出品リスト

1 光背断片 南北朝室町時代(14〜16世紀) 木造 
1 彫像断片 南北朝室町時代(14〜16世紀) 木造 伊豆国市・国清寺
2 菩薩像背面 平安時代(10世紀) 木造・素地 高さ121.1 河津町・わかづ平安の仏像展示館
3 四面神像 平安時代(11〜12世紀) 一木造・彫眼・素地 像高23.1 裾野市・茶畑浅間神社
4 随身像 平安時代 一木造・彫眼・素地 像高(横向き52.2(正面向き)54.2 裾野市・茶畑浅間神社
5 不動明王 平安時代(12世紀) 一木造 像高62.9  西伊豆市・圓成寺
6  薬師如来像 平安時代(12世紀) 一木割矧造 像高99.1  南伊豆町最福寺
7 阿弥陀如来像 平安時代(10世紀) 一木造・古色 像高40.7 下田市・向陽寺
8 如来像 平安時代(11世紀) 一木造 像高142.7 三島市・長福寺
9 十一面観音像 平安時代(11世紀) 一木造 像高151.6 三島市・長福寺
10 吉祥天像 平安時代(10世紀) 一木造・素地 像高123.1 河津町・地福院
11 如意輪観音像 平安時代(10世紀) 一木造・素地・墨 像高77.1 下田市・法雲寺
12 観音菩薩像 平安時代(10世紀) 一木造・漆箔 像高102.8 河津町・林際寺
13 毘沙門天像 平安時代(11世紀) 一木造・彩色 像高169.5 裾野市光明寺
14 大日如来像 室町後期〜桃山時代(16世紀) 寄木造・玉眼・漆箔 像高100.3 裾野市光明寺
15 伝阿弥陀如来像 室町後期〜桃山時代(16世紀) 寄木造・玉眼・漆箔 像高88.0 裾野市光明寺
16 神王像(閉口) 平安時代 一木造・素地 像高155.7 伊豆国市・宗徳寺
17 神王像(開口) 平安時代 一木造・素地 像高170.1 伊豆国市・宗徳寺
18 僧形像 平安時代 一木造・素地 像高44.1 伊豆国市・宗徳寺
19 僧形像 平安時代 一木造・素地 像高61.2 伊豆国市・宗徳寺
20 如来像 平安時代22 十一面観音像一木造・素地 像高82.0 伊豆国市・宗徳寺
21 観音菩薩像 鎌倉時代(14世紀) 一木造・玉眼・金泥・截金 像高16.1 河津町・林際寺
22 十一面観音像 南北朝時代(14世紀) 寄木造・玉眼・金泥 像高18.1 南伊豆町・潮音寺