ぽん太のよりみち精神科

たんたんたぬきの精神科医ぽん太のブログです。ココログの「ぽん太のみちくさ精神科」から引っ越してまいりました。以後お見知り置きをお願いいたします。

「義経千本桜」には桜のシーンはない 仁左衛門のいがみの権太と松緑の源九郎狐(2023年6月歌舞伎座夜の部)

 令和5年6月歌舞伎座夜の部を観に行ってきました。今回もなぜか最前列の席を取ることができました。

 仁左衛門の「いがみの権太」を観るのは何度目かですが、今回は間近で細かい表情や動きも見れ、とても素晴らしかったです。松緑の「四の切」は、これは近くで見たのが逆効果だったのか「熱演」という感じがしてしまい、小狐の親を思う心情や可愛らしさや、それに対比される兄に追われる身となった義経の悲しみが、いまいち伝わってきませんでした。

 このブログでは、ぽん太の簡単な感想を書き、また義経千本桜」の豆知識を二つご紹介します。

簡単な感想

仁左衛門による権太の性格のさまざまな面の演じ分けが見事

 仁左衛門は、「木の実」の冒頭の人の良さそうな風から、一転して金を揺り取ろうとする凄み、息子に対する親バカさなどを、見事に演じ分けました。妻の小せん(吉弥)とのじゃらじゃらでは、本当はお爺さん同士の演技なのですが、ヤンキーとヤンママとのイチャイチャに見えました。

 母親からお金を騙し取ろうとする時の表情の使い分けや、母親に甘えて抱きつくところなど、思わず吹き出してしまいながらも、権太のカワイサ、愛らしさが伝わってきました。

 小せんと善太を身代わりにするところでは、舞台奥を向いて目の上に手拭いを置きじっと上を向くところ、松明が煙たいと涙を誤魔化すところ、いつもながらに感動します。そして二人が花道を引かれているところでは、振り返って権太に向かって軽く微笑む吉弥の表情、見ていられずに陣羽織を被って泣き出す仁左衛門に、こちらも我慢できずにもらい泣き。先の同じ花道での幸せなじゃらじゃらと対比され、出会いがあれば別れもある、この世の無常を感じました。

 父・弥左衛門に刺されてからの述懐も良かったですが、ぽん太にはいつもこのくだりが長く感じてしまいます。

 錦之助のは、やさ男の奉公人・弥助が、高貴で風格ある維盛に直るところを、熟練の芸で表現しました。孝太郎の若葉の内侍、千之助の小金吾という配役で、仁左衛門と三代共演。千之助がかっこいいです。仁左衛門みたいに成長して欲しいです。

 歌六の弥左衛門がしっかりした演技で仁左衛門の演技を受け止めてました。梅花の弥左衛門女房お米も、息子の素行に腹を立てながらも、ついつい甘やかしてしまうバカ親を好演。彌十郎梶原景時大河ドラマのブレイクの影響もあるのか、すんごい迫力で観客を惹きつけました。

 壱太郎のお里は、前半が騒がしくてコミカルすぎて、なんか可愛らしさがあまり感じられませんでした。最前列の席で近すぎたせいかしら? 後半の権太の語りのところは良かったです。

松緑の源九郎狐は可愛らしさと身軽さがない

 松緑の「四の切」は、最初の佐藤忠信は丸本ぽくって美しく風格ある演技でした。しかし狐忠信となってからは、ちょっと太めで動きも重くて、狐というよりぽん太の仲間の狸か?という感じ。若いんだからもう少し身体的に頑張って欲しかったです。狐言葉もあまりしっくり来ませんでした。まあ、誰がやってもあんまりしっくり来ませんが。

 一生懸命動こうとしていたせいなのか、席が近かすぎたせいなのかわかりませんが、なんか「熱演」に見えてしまって、小狐の可愛さや、親を思う気持ちがあんまり伝わって来なかったのが残念です。

 静御前は誰が演じるのかな〜♩と配役表を見たら、大ベテランの魁春で、正直ちょっとがっかりしたのですが、実際に見てみると意外と可愛らしくて、なんだかオドオドしていて、芸の力に驚きました。東蔵の川連法眼館は化粧がなんか変ですが、芝居やセリフは素晴らしい。門之助久々に見ました。時蔵義経もそれらしかったです。

豆知識

義経千本桜」には満開の桜のシーンは全くない

 何度も見ている「義経千本桜」ですが、先日ふと「義経千本桜」(よしつねせんぼんざくら)って「吉野千本桜」(よしのせんぼんざくら)のシャレだよな〜と思いました。

 でも検索しても、シャレだと書かれているサイトは見つからず。当たり前すぎて検索にひっかからないのかもしれません。

 で、調べているうちに副産物として初めて知ったのが、「義経千本桜」に桜のシーンはないという事実。え〜今回の「四の切」だって桜満開だし、「道行初音の旅」も満開の吉野桜がバックだろ〜と思うかもしれませんが、それは後年になって作られた演出で、元々は「四の切」は早春だけど雪が残っている状態、「道行」も春とはいえ梅の季節なんだそうです(花のない「千本桜」:「義経千本桜」〜川連法眼館)。

 「義経千本桜」の初演は1747年(延享4年)11月、大阪松竹座。大変な評判を呼び、半年後の翌年の5月には歌舞伎化され、江戸の中村座で上演されました。

 なぜ「千本桜」という題名で満開の桜が出てこないのか、満開の桜の演出はいつ頃現れたのか、それはなぜかなど疑問はつきませんが、今後の宿題にしたいと思います。

義経千本桜」全体のあらすじは?

 何度も見てわかった気になっている「義経千本桜」ですが、そういえば全体のあらすじはどうなっているんだろうと思って、調べてみました。

 まあ、これは、Wikipediahttps://ja.wikipedia.org/wiki/義経千本桜#あらすじ)を見れば書いてありますし、また文化デジタルライブラリー(https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc24/himotoku/d1/1a.html)でも見ることができます。転記すると長くなるのでこれらを参照してください。

 大枠の物語は以下の通りです。平家を討ち取ったことで後白河院からほうびとして初音の鼓(「四の切」に出てくるやつですね)を賜りますが、左大臣藤原朝方はこれは頼朝を「打て」という院宣だと伝えます。最後の最後でこれは藤原朝方の謀略であり、また平家追悼の院宣もまた朝方のしわざであることが判明し、成敗されます。

 そこに、死んだはずの平知盛平維盛・平教経の3人が実は生きていた、という話が組み込まれます。生きていた平知盛の顛末が「渡海屋・大物浦」のいわゆる「碇知盛」の話で、平維盛のその後が今回の「いがみの権太」の話です。

 3人目の平教経の話はぽん太はこれまで観たことがありませんが、実は「四の切」がそれなんですが、近年の上演ではカットされてしまってます。川連法眼が舞台に登場する前に出席していた評定(会合)に参加していた僧「横川の覚範」が実は平教経です。教経は法眼が義経を匿っていると知り、義経を殺そうとしていたのです。

 「四の切」の最後で、義経を襲おうとした法師たちが源九郎狐の幻術によって退治されますが、この法師たちは反義経派の僧たちが差し向けたものでした。僧たちとともに鎧を着込んでやってきた横川の覚範を見て、義経はその正体が平教経であることを見破ります。

 最後の五段目「吉野山の段」では、左大臣藤原朝方がひったてられてきて、「頼朝を打て」という院宣も平家追討の院宣も朝方の謀略であることが明るみに出ます。平教経は平家を滅亡に追い込んだ朝方の首を切り落としますが、その教経も佐藤忠信によって討たれるんだそうです。

公演情報

六月大歌舞伎

歌舞伎座
2023年6月  夜の部

六月大歌舞伎|歌舞伎座|歌舞伎美人

仁左衛門が語る、歌舞伎座『義経千本桜』|歌舞伎美人

竹田出雲・三好松洛・並木千柳 作
義経千本桜(よしつねせんぼんざくら) 』
  木の実
  小金吾討死
  すし屋
  川連法眼館

〈木の実・小金吾討死・すし屋〉
  いがみの権太  仁左衛門
   弥助実は三位中将維盛  錦之助
  若葉の内侍  孝太郎
  お里  壱太郎
  主馬小金吾  千之助
  六代君  種太郎
  権太伜善太郎  秀乃介
  弥左衛門女房お米  梅花 
  猪熊大之進  松之助
  権太女房小せん  吉弥
  梶原平三景時  彌十郎
  鮓屋弥左衛門  歌六

〈川連法眼館〉  
  佐藤忠信/忠信実は源九郎狐  松緑
  源義経  時蔵
  駿河次郎  坂東亀蔵
  亀井六郎  左近
  飛鳥  門之助
  川連法眼  東蔵
  静御前  魁春