ぽん太のよりみち精神科

たんたんたぬきの精神科医ぽん太のブログです。ココログの「ぽん太のみちくさ精神科」から引っ越してまいりました。以後お見知り置きをお願いいたします。

藤原清衡の祈りが息づく感動の11体・特別展「中尊寺金色堂」東京国立博物館2024年

 中尊寺金色堂の建立900年を記念し、中央須弥壇に安置される国宝11体がすべてが一堂にそろう特別展。仏さまたちの方がらわざわざ岩手県から東京までお越し下さっているですから、見に行かない手はありません。

 このブログでは本展覧会の出品作のうち、仏像に焦点を絞って書きたいと思います。

藤原氏三代の遺骸を祀る中尊寺金色堂

 中尊寺岩手県の平泉にあり、藤原氏三代(清衡・基衡・秀衡)ゆかりの寺として有名で、平安時代文化財が今に残ります。なかでも金色堂は初代の藤原清衡が1124年(天治元年)に建立した仏堂で、外側も内部も金箔ばり。平安後期の浄土建築の代表とされております。

 奥州藤原氏は、前九年・後三年の役の後の1087年(寛治元年)から1189年(文治5年)に源の頼朝に滅ぼされるまで、約100年に渡って東北の地で栄華を誇りました。豊富に産出した金を財源に独自の政権を築き、平泉は平安京に次ぐ日本第二の都市として繁栄しました。

 源義経が少年期と最晩年に平泉で過ごしたと言われてます。頼朝の圧力により義経は自害に追い込まれ、奥州藤原氏義経を匿ったという理由で滅ぼされました。

 芭蕉が平泉で詠んだ「おくのほそ道」の二つの句、「五月雨の降のこしてや光堂」と「夏草や兵どもが夢の跡」は、奥州藤原氏の栄華と滅亡を見事に表現しております。

 金色堂の内部には、中央と、左右奥に三つの須弥壇があります。中央壇には藤原清衡の遺骸が収められています。奥の二つには基衡、秀衡の遺骸が収められていますが、どちらがどちらなのかは異論があるようです。右壇(向かって左)には泰衡の首級(くび)も納められているそうです。

 三つの須弥壇それぞれの上に、阿弥陀三尊像、6体の地蔵菩薩、二天像の計11体が祀られています。ただこれらすべてが当初からのものというわけではなく、移動したり、他から持ち込まれたり、後から造られたものもあるそうです。

 今回の展覧会では、清衡が祀られた中央壇の仏さま11体(すべて国宝)がすべて出品されました。

館内では間近からまた後ろに回って拝観できます

 本館1階階段奥の特別5室が会場です。出入り口付近には、8Kの超高精細CGと大型ディスプレイによる金色堂内部の再現と、金色堂の5分の1縮尺模型が展示されています。この模型は写真撮影可です(ブログ冒頭の写真がそれです)。

 奥に入ると、ガラスケースに収められた仏さまがゆったりと配置されており、壁際に仏像以外の出品作が並んでいます。それぞれの仏さまを、間近で背後にも回って観れるのがありがたいです。

 全体に思ったよりも像が小さいことに驚きます。威圧感や神秘性はなく、穏やかで静謐な仏さまたちで、装飾的な美しさも感じられます。遺骸を祀り極楽浄土への往生を願う仏堂にふさわしい仏さまだと思いました。

 ぽん太が訪れた時は、入館時に10分待ちの行列ができていて、中もそこそこ混んでおりましたが、日時によるようです。

 仏さまの画像は、下にリンクした東京国立博物館の公式サイトやブログに多数あり、わかりやすい解説も書かれています。

みどころ - 建立900年 特別展「中尊寺金色堂」公式サイト
金色堂の仏像(1) - 東京国立博物館 - 1089ブログ
金色堂の仏像(2) - 東京国立博物館 - 1089ブログ

創建当初からある阿弥陀三尊像

 阿弥陀三尊像は金色堂のご本尊であり、創建当初から中央壇に置かれていたと考えられています。

 阿弥陀三尊像とは、中央の阿弥陀如来、向かって右の観音菩薩、向かって右の勢至菩薩からなるチームです。

 阿弥陀如来坐像の像高は62.5cmで、等身大よりやや小さめです。ふっくらとして雅やかな、平安後期のいわゆる定朝様の仏さま。お姿は整っており、一流の仏師の手になることが推測されます。しかし只々優美な定朝様とは異なり、口の周囲などちょっと写実的で、人間的な表情が認められ、鎌倉彫刻の息吹を感じます。

 左右の観音・勢至菩薩は立像で、ふっくらしたお顔の優美なお姿は、阿弥陀如来とよく似ています。2体はお顔の表情は少し異なりますが、どちらも外側の手に蓮を持ち、内側の手は下におろし、左右対称に造られてます。観音の化仏と勢至の水瓶はないようです。

一つひとつ個性的な地蔵菩薩

 6体の地蔵菩薩は、須弥壇上では阿弥陀三尊像の左右に3体ずつ、前後方向に並んで安置されているものです。仏像が縦に列をなしているのは、ちょっと珍しい気がします。特別展では左右に並んで安置されていました。

 いずれも左手に宝珠を持ち、右手を与願印に下げた定型のお姿ですが、一つひとつ表情や衣服が異なっていて個性が感じられます。傷み具合も様々ですが、截金の跡が残っているものもあり、完成当時のきらびやかな姿が想像されます。

躍動感あふれる二天像

 表情豊かで袖をなびかせ、細身の体で躍動感あふれるポーズ。ほかの仏さまより時代がやや新しく、鎌倉彫刻を思わせます。大きさはちょっと小さくて50cmくらいでしょうか。

 二天像とは、いわゆる四天王のうち二体を選んで造られた像です。四天王は通常は四隅に配置され、右手前から時計回りに、持国天増長天広目天多聞天(=毘沙門天)となっており、「じぞうこうた」と覚えることになってます。二天像のばあい、後列の多聞天広目天の二体が選ばれるのが一般的ですが、中尊寺では前列の持国天増長天なのがちょっと珍しいです。

 須弥壇上では見上げる高さに祀られているため、どちらもうつむいておられるので、お顔を見るにはこちらがしゃがむ必要があります。持国天はすらっとしたお顔で鼻が高く、口をへの字に結んでます。いっぽう広目天は顎が張って平べったいお鼻、口をカッと開いてます。 

展覧会情報と出品リスト

建立900年 特別展「中尊寺金色堂

東京国立博物館 本館 特別5室
2024年1月23日(火) ~ 2024年4月14日(日)

東京国立博物館特別サイト・建立900年 特別展「中尊寺金色堂」
東京国立博物館公式サイト・東京国立博物館 - 建立900年 特別展「中尊寺金色堂」
中尊寺公式サイト・金色堂について │ 関山 中尊寺[岩手県平泉 天台宗東北大本山]

出品目録(pdf)

仏像の出品リスト ⦿国宝

3 ⦿ 阿弥陀如来坐像 平安時代 12世紀 中尊寺金色院
4 ⦿ 観音菩薩立像 平安時代 12世紀 中尊寺金色院
5 ⦿ 勢至菩薩立像 平安時代 12世紀 中尊寺金色院
6 ⦿ 地蔵菩薩立像 平安時代 12世紀 中尊寺金色院
7 ⦿ 地蔵菩薩立像 平安時代 12世紀 中尊寺金色院
8 ⦿ 地蔵菩薩立像 平安時代 12世紀 中尊寺金色院
9 ⦿ 地蔵菩薩立像 平安時代 12世紀 中尊寺金色院
10 ⦿ 地蔵菩薩立像 平安時代 12世紀 中尊寺金色院
11 ⦿ 地蔵菩薩立像 平安時代 12世紀 中尊寺金色院
12 ⦿ 持国天立像 平安時代 12世紀 中尊寺金色院
13 ⦿ 増長天立像 平安時代 12世紀 中尊寺金色院