ぽん太のよりみち精神科

たんたんたぬきの精神科医ぽん太のブログです。ココログの「ぽん太のみちくさ精神科」から引っ越してまいりました。以後お見知り置きをお願いいたします。

『女殺油地獄』の与兵衛はいくらのためにお吉を殺めたのか?

 浄瑠璃や歌舞伎で演じられる近松門左衛門作の『女殺油地獄』は、借金をどうしても今日中に返さないといけない与兵衛が、豊島屋の女房お吉を油まみれになりながら刺し殺し、お金を奪うという凄惨な場面で有名です。

 でもいったいどれほどの金額のためにお吉を殺したのでしょうか。ぽん太は両とか文とかいう単位は知ってますが、『女殺油地獄』では一貫目とか上銀とか知らない単位が出てきます。江戸の貨幣制度はどうなっていたのか、また現代の貨幣価値にしたらいくらぐらいなのか、与兵衛はいくらのためにお吉を殺したのか、調べてみることにしました。

 最初に申し上げておきますが、江戸時代は大変長く、その間に様々な貨幣が作られ、貨幣制度や貨幣価値は変化していきました。このブログでは、歌舞伎の鑑賞に役立つ程度のざっくりした説明をしますので、もっと詳細な知識を得たい方は別の情報をお探しください。

「豊島屋」に出てきた金額

 最初に、『女殺油地獄』の「豊島屋」で、実際にどのような金額が出てくるのかを見てみましょう。

 歌舞伎の脚本はアップされておりませんが、文楽の床本ならネットで見れるので(女殺油地獄|床本集|ようこそ文楽へ)、そこからピックアップしてみました。また現代語訳はこちら(現代語訳 女殺油地獄 下之巻1 : 讃岐屋一蔵の古典翻訳ブログ)にあります。

 

 借金を返すあてのない与兵衛はお吉にお金を借りようと豊島屋を訪れますが、門前で借金取りの小兵衛に出会います。二人の会話によると、なんでも与兵衛は「二百匁」の借金をしているのですが、借用書の額面は「一貫目」になっており、今晩中に返さないと借金が「一貫目」に膨らんでしまいます。

 小兵衛と別れると、次いで与兵衛の父・徳兵衛がお吉を訪ねてきたので、与兵衛は家の裏に身を隠して聞き耳を立てます。徳兵衛は持ってきた「銭三百」をお吉に託し、誰からと言わずに与兵衛に渡して欲しいと言います。そこへさらに与兵衛の母・おさわがやってきます。実はおさわも与兵衛のことが心配で、家から「銭五百」を持ち出して、お吉に預けに来たのでした。

 両親が帰った後、与兵衛が豊島屋を訪れ、お吉に借金返済のために金を貸して欲しいと頼みますが、お吉は断ります。とうとう与兵衛はお吉を殺し、「上銀五百八十匁」を奪って逃げていきます。

江戸時代の貨幣制度

交換レートが変動する3種類の貨幣

 まず、江戸時代の貨幣制度を調べてみました。

 江戸時代の貨幣は金貨・銅貨・銭貨(せんか)の3種類があり、三貨制度と呼ばれます。しかもそれらの交換レートは相場によって変化するという、複雑な仕組みでした。

 交換レートは江戸時代300年の間に変動しましたが、何回か幕府による公式レートも定められました。例えば1609年(慶長14年)の公定換算率は、金1両=銀50匁=銭4,000文で、また1700年(元禄13年)には、金1両=銀60匁=銭4.000文と定められました(江戸時代の貨幣制度|日本食文化の醤油を知る)。しかし実際の取引のレートは、現代の円とドルの交換レートのように、その日その日の相場によって変動していたそうです。

 以下では1700年の「金1両=銀60匁=銭4,000文」のレートで計算します。

 ちなみに純金と純銀の江戸末期の金銀交換レートは1:5ぐらいでしたが、諸外国のレートは1:15くらいだったので、外国人が銀を持ち込んで金に換えると大儲けできたため、日本から大量の金が流出したことは、昔日本史で習いました。

1両って現在のいくらぐらい?

 江戸時代が長かったことと経済制度が現代とは異なるため、単純な比較は困難です。時代による変化としては、米の値段から換算した金1両の価値は、江戸初期で約10万円、中~後期で4~6万円、幕末で約4千円~1万円になるそうです)。また経済制度による違いとしては、同じ18世紀で考えても、米価から換算すると1両が6万円、大工の賃金で換算すると35万円となるそうです(お金の歴史に関するFAQ - 貨幣博物館)。

 以下では、計算しやすく1両=10万円で計算することにします。

4進法の金貨

 金貨には、大判、小判、一分判(一分金)、一朱判(一朱金)がありました。


 まずは小判です(※以下写真はWikipediaからlicence freeのものです)。小判1枚が1両となります。鼠小僧などの盗賊が盗んでいく千両箱に入っているのがこれですね。上で書いたように、1両=10万円です。

 ちなみに小判の金の純度は、江戸初期の慶長小判では約85%でしたが、徐々に混ぜ物が多くなって、江戸末期の万延小判では57%程度でした(小判 - Wikipedia)。


 写真は一分判(一分金)です。金貨は4進法になっていて、1両(小判1枚)=4分(一分判4枚)です。現代に換算すると一分判1枚で25,000円になりますね。


 こちらは一朱判(一朱金)です。4進法で、1分=4朱となりますから、現代で6,250円の価値があります。


 江戸時代の金貨といえば大判ですが、通貨として一般的に用いられたものではなく、将軍家・大名・公家などが恩賞や贈答として使ったようです。元来は10両(現代で100万円)とされましたが、重量や品位(金の純度)によって小判との交換比率が異なり、実際はそれより少なかったようです。

重さで価値が決まる銀貨

 金貨の4進法で驚いていてはいけません。

 次は銀貨ですが、これはなんと重さで価値が決まりました。従って銀貨の単位は、貫(かん)、匁(もんめ)、分(ぶ)など、重さの単位になります。

 「貫」は「貫目」(かんめ)とも言いました。また「匁」は「文目」とも書き、略して「目」とも呼ばれたそうです。

 1貫=1000匁、1匁=10分です。

 現代の金額は、1匁=1/60両=1667円。1貫=167万円です。

 ちなみに重さの単位としては、時代による変動はありますが、1貫=約3.75kg、1匁=約3.75gです。

 


 こちらが丁銀(ちょうぎん)です。ナマコみたいな形です。重さは約43匁ですが、取引の際に重さを量って使うものなので、ちょっといい加減だったそうです。実際の取引では、丁銀に、下で述べる豆板銀などを加えてキリのいい重さにしたものを紙で包むなどして、使われたそうです。純度は、1601年の慶長丁銀は80%と高純度でしたが、江戸中期には20%ぐらいに落ちていました(漢方史料館(38)人参代往古銀)。

 現在の貨幣価値に換算すると、銀43匁=約72,000円となります。


 豆板銀あるいは小玉銀と呼ばれる、小粒の銀貨です。これも重さを量って使うものなので、重さや形はそれぞれで、5〜7gぐらいのものが多いそうです。

 現代の貨幣価値に換算すると、銀7.5g=銀2匁=3300円ですね。

 いちいち量って使うのでは不便そうですが、銀貨はとても高額だったので日常生活で使うものではなく、大きな取引で使われました。また日常生活では、銀貨を銭貨に両替して用いました。
 江戸時代後期には、五匁銀、一分銀などといった、額面が定まった銀貨も発行されたようです。

銭形平次でおなじみ銭貨

 写真は江戸時代を通し流通した銭貨、寛永通宝です。当初は1枚1文でしたが、後には1枚4文のものも発行されました。1文=1/4,000両=25円となります。

 ちなみに落語の「時そば」でも出てくるように、江戸時代の蕎麦は1杯16文でしたから、約400円となります。

 ちなみに銭形平次が投げていたのは4文銭だそうですから、1枚100円。10枚投げたら1000円ですから、犯人を捕らえるためとはいえ、けっこうな出費ですね。

与兵衛がお吉を殺したのは31万円のため

 さて、以上の準備をした上で、『女殺油地獄』の与兵衛がどれくらいの金額のために殺人を犯したのかを計算してみましょう。

 与平の借金は「二百匁」ですから、銀200匁で約33万円。ただし借用書の額面は「一貫目」=銀1貫=167万円になっており、返済期限を過ぎるとその額を払わないといけません。5倍になってしまうとはきついですね。

 与兵衛の父親がこっそりお吉に持ってきたのが「銭三百」=300文で、母親が持ってきたのが「銭五百」=500文。合計すると800文で約2万円。33万円の借金で2万円ですから、親の情けは有り難いとはいえ、これでは確かにぜんぜん足りません。とはいえ33万ー2万円=31万円ですから、たったこれっぽっちの金額ために与兵衛はお吉の命を奪ったことになります。そうして油屋から奪ったお金が「上銀五百八十匁」=純度の高い銀580匁ですから、約97万円となります。