ぽん太のよりみち精神科

たんたんたぬきの精神科医ぽん太のブログです。ココログの「ぽん太のみちくさ精神科」から引っ越してまいりました。以後お見知り置きをお願いいたします。

鶏は水中の死骸の上で鳴く「菅原伝授手習鑑」2023年5月国立劇場文楽第二部

 初代国立劇場さよなら公演として、文楽「菅原伝授手習鑑」の通し上演が行われています。

 令和5年5月は、第一部で初段、第二部で二段目の上演です。ぽん太は両方見に行く元気はなかったので、仁左衛門の菅丞相が記憶に残る歌舞伎の「道明寺」が含まれる二段目を見に行くことにしました。

 ちなみに「杖折檻の段 」「東天紅の段 」「宿禰太郎詮議の段 」「丞相名残の段 」が、歌舞伎では「道明寺」と呼ばれています。最後のところで道明寺の功徳や伝説を詠い挙げるからです。

 「東天紅の段 」では、時刻を錯覚させるために鶏を夜中に鳴かせるというくだりがあります。その方法ですが、箱の蓋に鶏を乗せて、遺体が沈んだ池に浮かべるというものです。遺体の真上で鶏が時を告げるのだそうです。

 ぽん太はそんな言い伝えは聞いたことないし、これまで検索しても出てこなかったのですが、こんかい改めて検索したら少し情報を得られたので、皆様にもご紹介したいと思います。

 このブログでは、観劇の感想と、ニワトリが水中の遺体の真上で鳴くという言い伝えについてよりみちします

感想:和生の覚寿、玉男の菅丞相、千歳大夫の語り

 国立劇場文楽はいつも満席ですが、この時はなぜか空席が目立ちました。なぜでしょう?

 最初の「道行詞の甘替」は、ぽん太は歌舞伎も含めて初めて見ました。満開の桜の下、飴売り姿の桜丸が、桜飴の口上を言い立てます。桜丸だけに桜飴……。ところが天秤棒の両側に下げた箱からは、飴ではなく苅屋姫と斎世親王が現れます。二人の駆け落ちに桜丸がお供をしていたのでした。大勢の太夫と三味線が床からこぼれ落ちんばかり。華やかな舞台でした。最後に飴を買いに来た子供の親の噂話から、菅丞相が筑紫に島流しになり、摂津の安井で「風待ち」をしているという情報を聞きつけます。

 ちなみに摂津の安井は、現在の大阪市福島区近辺です(大阪市福島区野田の旧町名継承碑「安井町」 : 大阪どっかいこ!)。

 続いて「安井汐待ちの段」。あれ? 「風待ち」じゃなかったんかい!

 この段は、1983年の大阪朝日座以来40年ぶりの上演とのこと。安井に駆けつけた一行は、菅丞相の護送をしていた判官代照国(役目で護送を行ってますが、実はいい人)に面会の許可を求めますが、許されません。逆に、潔白を証明するために苅屋姫と斎世親王が別れるべきだと諭されます。そこに苅屋姫の姉の立田前が現れ、母・覚寿との暇乞いのために汐街のあいだ菅丞相を預かりたいと申し出ます。照国は情けをかけ、菅丞相と刈谷姫を土師の覚寿の館に向かわせ、また親王と桜丸は御所へと旅立っていきます。

 ちなみに土師は現在の藤井寺市で、土師ノ里という駅名も残ってますね。現在、道明寺があるあたりです。

 「杖折檻の段」で和生が遣う覚寿の出が素晴らしかったです。怒りに満ち、毅然とした態度で杖を振り上げて現れた瞬間、場の雰囲気が一変しました。その後も様々な心情をきめ細やかに表現してくれました。

 「丞相名残の段」の菅丞相は、ぽん太は歌舞伎の仁左衛門の演技がとにかく印象に残っています。芸やテクニックではなく、人間そのものの格というか、人品が問われるお役です。これを個性のない人形がいったいどのように表現するのかと思っていたのですが、玉男の遣う菅丞相は深い情を抱えながらも「神性」さえ感じさせたから不思議です。

 千歳太夫も気迫に溢れ抑揚に満ちた熱演。でも、ふと語っている姿を見るとタコ入道みたいでギャップに驚きます。だけど時々また見たくなってしまうのが不思議です。

水死体の真上で鶏が鳴く?

 土師兵衛が夜中に鶏を鳴かすため、箱の蓋に鶏を乗せ、立田前の亡骸が沈む池に浮かべるシーンがあります。それを見て大人気ないと大笑いする宿禰太郎に向かって、土師兵衛は次のように答えます。

 「惣別渕川へ沈んで知れぬ死骸は鳥を舟に乗せてその死骸の在り処で刻を作る」(総じて淵や川に沈んでどこにいるかわからない遺体を探すときは、鶏を舟に乗せて探すと、遺体の真上で鳴く)。

 ぽん太はこのような言い伝えは聞いたことがなく、前から気になってました。

 台本がわからない時にまずチェックする白水社の『歌舞伎オン・ステージ』を見ても、この部分はスルーされていて注釈がありません。検索しても何もヒットしないので、わからないまま宿題となっていたのですが、今回改めて調べたらそれらしい情報が見つかりました。

 小池淳一「境界の鳥 ーーニワトリをめぐる信仰と民俗ーー」国文学研究資料館紀要 文学研究篇 259-273, 2018-03-15(pdf)の最初の節が「ニワトリのまじないー水中の死者を探す呪法」というタイトルになってます。

 これによると、青森県のある地域では海で遭難者が出た場合、船に雌鳥を乗せて遭難場所に行くと、溺死者がいるところでけたたましく鳴くという言い伝えがあり、また雌鳥の声を聞くかせると遺体が浮かび上がってくるとも言われているそうです。また静岡県沼津市でも、子供が海に流されて亡くなったとき、タライに鶏を入れて流すと、鶏が鳴いたところに死体があるといった言い伝えがあるそうで、こうした言い伝えは日本各地に広く分布していると思われると述べています。

 また神話の森のブログ | 時を作る鶏というブログには、松前健他著『古代日本人の信仰と祭祀』大和書房、1996年という本から引用して、数年前に愛知県の女子大生が殺されて川に投げ込まれる事件があったとき、なかなか遺体が上がらないので、近隣の住民が小舟にチャボを乗せて捜索している光景がテレビに映っていて驚いた、という話が書かれています。

 小池淳一はこうした呪法の資料を遡り、1756年の黒川道祐『遠碧軒記』や、加賀藩10代藩主・前田重教の略年譜『泰雲公御年譜』の1765年の記載、1777から刊行が始まった谷川士清『倭訓栞』などに同様の記載があること指摘し、近世期に鶏で水難者を探す方法は広く知られていたと推測しています。

 しかし、こうした呪法がいつ頃どこで生じたのかについては書かれていません。

 「菅原伝授手習鑑」の初演は1746年ですから、上の資料とだいたい同じ時代になります。当時水死体の上で鶏が鳴くという考え方が広まっていて、それを取り入れて詞章を書いたという可能性が考えられます。

 しかし、もう一つ別の考え方もあります。先の資料の年代をよく見てみると、「菅原伝授手習鑑」の初演よりも10年以上あとになっております。じつは鶏の話は「菅原伝授手習鑑」における創作で、この文楽と、同年に行われた歌舞伎化の大ヒットによって、こうした呪法が庶民のあいだに広まったという可能性もあります。

 これ以上は今のところはよくわからないので、また機会があったらよりみちしたいと思います。

公演情報

2023年5月文楽公演
国立劇場
公式サイト・https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/kokuritsu_s/2023/5512.html
鑑賞日:2023年5月24日
第二部
通し狂言「菅原伝授手習鑑」 二段目  

道行詞の甘替
    楳茂都陸平=振付
 桜丸:希太夫、斎世:小住太夫、苅屋姫:碩太夫、ツレ:薫太夫、文字栄太夫
 清志郎、清𠀋、燕二郎、清方 
安井汐待の段  
 睦太夫、勝平
杖折檻の段
 芳穂太夫、錦糸
東天紅の段 
 小住太夫、藤蔵
宿禰太郎詮議の段 
 呂勢太夫、清治
丞相名残の段
 切)千歳太夫、富助

人形役割
 舎人桜丸:玉佳
 里の童:玉征
 里の童:勘昇
 苅屋姫:蓑紫郎
 斎世親王:玉勢
 里の娘:蓑悠
 里の女房:勘次郎
 判官代照国:清十郎
 立田前:一輔
 宿禰太郎:玉助
 伯母覚寿:和生
 土師兵衛:簑二郎
 菅丞相:玉男
 贋迎い:簑太郎
 奴宅内:紋吉
 官人・腰元・輿舁・水奴・近習・雑色:大ぜい