ぽん太のよりみち精神科

たんたんたぬきの精神科医ぽん太のブログです。ココログの「ぽん太のみちくさ精神科」から引っ越してまいりました。以後お見知り置きをお願いいたします。

紅葉だけでなく仏像もすごい・湖東三山の西明寺


 2022年10月中旬、ぽん太は滋賀県西明寺に仏像を観に行ってきました。

 滋賀県の湖東にあり紅葉で有名な西明寺ですが、本堂には平安時代重要文化財を含む多数の仏像があり、見応えがあります。今回訪問時は、秘仏前立本尊の虎薬師が御開帳されており、また後陣(内陣の裏側の部屋)の特別公開もやっていて、普段は見れない仏さまも拝むことができました。

 このブログでは、湖東三山の西明寺の仏像をご紹介いたします。

アクセスと歴史

 西明寺滋賀県の琵琶湖の東の湖東地区にあります。位置的には彦根市のやや南。鈴鹿山脈の西の山すそにあり、深い樹林に覆われた傾斜地にそって伽藍が並んでおります。
 山深い立地にもかかわらず、自家用車(ETC搭載車)でのアクセスは簡単で、名神高速道路の湖東三山スマートインターからわずか3分と激近。それもそのはず、お寺の敷地内を名神高速が横切っているのです。

 お寺の創建は平安初期と言われており、修験道との関係が強かったようです。その後、祈祷道場、修験道場として発展し大伽藍を擁するに至りました。比叡山延暦寺の隆盛に伴い天台宗に改宗。織田信長延暦寺焼き討ちのおりには西明寺にも火がかけられましたが、お坊さんの機転によって本堂や三重塔は焼失を免れ、多くの貴重な仏像が残りました。お寺の下の方でわざと激しい火事を起こして、敵に全山が焼失したと思わせたんだそうです。
 その後一時は荒廃したものの、江戸時代に再興され、現在に至っております。

境内と建物

国の名勝・蓬莱園


 本坊の庭園である蓬莱園は、1637年の築庭。国の名勝に指定されております。鶴亀の島がある蓬莱式で、池泉・観賞式庭園です。日本庭園の分類について知りたい方はこちらのサイトをどうぞ(日本庭園の基礎知識 まずは形式・分類を覚えよう 〜 「○○式庭園」って何? | トラベルjp 旅行ガイド)。

 奥の斜面に立ち並ぶ石は、本堂に祀られた仏さまを象徴しているそうです。

石屋弥陀録作の八角石灯籠

 また一角にある八角石灯籠(写真はこちら→https://chibasuiseki.com/imge/IMG_2305s.jpg)は、案内板によると、石屋弥陀六(みだろく)作とのこと。石屋弥陀六といえば、歌舞伎の「一谷嫩軍記」(いちのたにふたばぐんき)の「熊谷陣屋」に出てきて、ノミを投げて義経の敵を殺すおっちゃんで、実は平宗清(たいらのむねきよ)だったという人物ではないか。え? 実在してたの?

 ぐぐってみたけど歌舞伎しかヒットしません。歌舞伎が元にあって、それにちなんで「石屋弥陀六作」とされたのかもしれませんね。

国宝第一号指定の本堂


 本堂です。鎌倉時代初期の和洋建築で、入母屋・檜皮葺の美しい建築。「国宝第一号指定」(最初に国宝に指定された)だそうです。

 ここに、後ほどご紹介する諸々の仏像が安置されております。

 以前から、本堂の煤に覆われた柱にうっすらと絵が描かれていることがわかっていたのですが、2022年に赤外線撮影による調査が行われたところ、それが八大菩薩であることがわかりました。しかも絵の特徴が飛鳥時代に描かれた法隆寺の絵に似ており、ひょっとして飛鳥時代の柱が残っていたのではないかという説(というかロマン?)も出てきたそうです(すすの下に「八大菩薩」…滋賀の寺の柱、国宝「玉虫厨子」に似る : 読売新聞オンライン)。

国宝三重塔


 三重塔も国宝ですね。鎌倉後期に造られたそうです。屋根を大きく張り出し、逓減率が低い(上の方の屋根があんまり小さくなってない)ため、天に向かって聳え立つというより、どっしりと翼を広げたような安定感があります。

 一層には大日如来が安置され、周りの壁には極彩色の絵(重要文化財です)が描かれております。ときどき特別公開されるようですが、ぽん太が訪れた時は見れませんでした。機会があったら拝観したいです。

迫力ある本堂の仏像群

本堂内陣

 本堂は内陣まで入ることができ、けっこう大きな仏像を、間近で拝観することができます。またお坊さんの解説付きです。内陣全体の写真は、例えばこちらをどうぞ(湖東三山|昇龍道)。

秘仏ご本尊は見れませんでした

 中央にある大きくて立派な厨子には、ご本尊の薬師如来さま(重要文化財)が納められておりますが、秘仏のため今回は拝観できず。お写真はこちらをどうぞ(西明寺(滋賀県犬上郡甲良町)– 祇是未在)。すごいボリューム感がある仏さまですね。2014年に御開帳されたようですが、次はいつでしょう。前回が8年ぶりの御開帳だったそうなので、コロナが治まったらそろそろ御開帳されるかも。これもぜひお目にかかりたいです。

御前立秘仏の虎薬師が36年ぶりに御開帳

 ご本尊が秘仏の場合、通常は御前立(おまえだち)と呼ばれる別の仏さまが置かれ、日々の参拝の対象となるのですが、西明寺の場合は御前立もまた秘仏となっており、通常は公開されていません。御開帳は36年に1度の五黄の寅年(金運の年)で、近年は彦根城築城の節目の年(10年ごと)も加わったそうですが、なんと今年(令和4年です)がその五黄の寅年なんだそうです! お写真は例えば下記のリンクをどうぞ。

 高さ50cmほどで、厨子に入っていて暗いので、あまりよく見えませんでした。写真で見ると、整ったお姿で、衣には截金が残ってますね。乗っいる虎の方はマンガチックで、迫力はあるけどちょっと可愛いです。顔の形がカネオくんというか、ダヨーンみたいです。作は江戸時代です。

 彦根藩井伊家4代目当主(藩主としては5代・8代)の井伊直興(なおおき:1656年生〜1717年没)が寄進したと言われており、そのため近年は彦根城築城にちなんで御開帳されるのです。次の御開帳は築城420年の2027年でしょうか?

金箔が荘厳な鎌倉時代の日光・月光菩薩

 厨子の左右には、中尊が薬師如来ということで、日光・月光菩薩鎌倉時代)が祀られております。お写真はこちらから(寺院散策 | 湖東三山西明寺の公式ホームページ)。

 鎌倉時代の作の大きな仏像で、金箔が貼られており(江戸時代の後補か?)、とても荘厳です。

鎌倉時代のキャラ立ち十二神将

 もひとつ薬師如来につきものの十二神将は、鎌倉時代の作。お写真はやはりこちらから(寺院散策 | 湖東三山西明寺の公式ホームページ)。日光・月光菩薩のさらに外側に、左右それぞれ6体ずつ安置されておりますが、大きめで、表情もキャラが立っててなかなかのものです。

重文・平安時代の二天王立像(広目・多聞)

 十二神将のさらに外側の前方に、平安時代の二天王立像が置かれています。お写真はやはりこちらから(寺院散策 | 湖東三山西明寺の公式ホームページ)。広目天が向かって左、多聞天が向かって右です。最初から二天王なのか、四天王のうち二つだけが残っているのか、解説にも書かれておらずぽん太には判断がつきません。平安時代の作で、どっしりとボリュームがあり、顔は比較的穏やかです。持ち物は失われています。

その他の仏像(天王像?)

 二天王の後列に、同じくらいの大きさの別の二天王が配置され、全部で四天王のようになっておりますが、後ろの二つは後補でしょうか。見えにくい位置にあり、前にある仏像や柱が邪魔になってよく見えません。

 また一番両端、須弥壇の外側にでっかい二天王像がありますが、正体不明です。かなりデフォルメされた感じで、江戸時代ぐらいの気がします。

本堂後陣(特別拝観)

 内陣の裏側にあたる後陣の特別拝観をしていたので、もちろん参拝いたしました。雑多な感じで多くの仏像が安置されておりましたが、なかには重文の仏さまもいらっしゃるのであなどれません。

重文の清凉寺式釈迦如来

 重文の釈迦如来立像は、いわゆる「清凉寺式」の釈迦如来。お写真は例えばこちら(清涼寺式釈迦如来 – 祇是未在)が鮮明です。鎌倉時代らしく体全体のフォルムは整っていて、お顔も写実味があり、複雑な表情を浮かべております。写実的・躍動的に造る技術はありながら、古風に習って洋式的に造った感じです。ギャグ漫画のキャラクターを劇画調で描いた、みたいな感じですかね。
 両太腿の衣紋が、茶杓というか勾玉のようになっているのが工夫でしょうか。

重文の平安時代不動明王・二童子

 もうひとつの重文は、不動明王・二童子像(お写真はこちら→寺院散策 | 湖東三山西明寺の公式ホームページ)。平安時代だけあって、恐ろしさの中にもおっとりとした雅やかさが感じられます。

阿弥陀三尊像(伝・快慶作)

 鎌倉時代阿弥陀三尊像も非常に整った美しい仏像で、快慶作と伝えられているのもうなずけます。お写真はやはりこちらから(寺院散策 | 湖東三山西明寺の公式ホームページ)。中尊は凛としたお姿。両脇侍は中尊に比べると小さめですが、中腰の下半身の衣紋や、両腕から下がる天衣が波打つ様子が優美で柔らかいです。

腕が八本のちょっと怖い弁財天坐像

 室町時代の弁財天坐像は、琵琶を抱いた色っぽいお姿とは異なる八臂(八本腕)のちょっと怖い像。頭上の鳥居の奥に、宇賀神(うがじん)と呼ばれる「老人の顔をした蛇」がとぐろを巻いており、「宇賀弁財天」と呼ばれるお姿です。室町時代らしく装飾性が優れており、神秘性も漂っているなかなかの仏さまです。お写真は下のTwitterをどうぞ。

塑像の元三大師坐像

 同じく室町の元三大師(がんざんだいし)坐像は、木造ではなく塑像(そぞう:粘土で造った像)ですが、玉眼が入ってます。お姿はこちらから(寺院散策 | 湖東三山西明寺の公式ホームページ)。元三大師は平安中期の僧で、比叡山中興の祖。疫病が流行った際、元三大師が鬼の姿になって疫病を退散させたという言い伝えがあり、その姿を表現したものが鬼大師、あるいは角大師と呼ばれており、その姿を描いたお札が疫病よけとして人気を呼びました。

異形の親鸞聖人坐像

 親鸞聖人坐像は鎌倉時代の作ですが、なんだかドクロみたいな異形の像です。自伝によると、親鸞聖人が越後に流罪になったとき西明寺に立ち寄ったことから、後に西明寺の僧が彫ったそうで、寒い地方に流されたためか、襟巻きをして手を衣のなかに入れたお姿です。お写真はやはりこちらから(寺院散策 | 湖東三山西明寺の公式ホームページ)。

 その他にもいくつかの仏像がありましたが、忘れてしまいました。

重文の二天門

二天王立像

 


 重文の二天門にいるのは、いわゆる仁王像ではなく、持国天増長天の二天王だそうですが、どっちがどっちかわかりません。やっぱり本堂内陣に広目天多聞天しかないのが気になったのでしょうか? 室町時代の1429年、院尋(いんじん)の作。

 

 西明寺は、仏像がなかなか充実しておりました。こんかい見れなかった秘仏ご本尊や三重塔の大日如来を、機会があったら拝観したいと思っています。

基本情報

【寺名】龍応山 西明寺(さいみょうじ)  天台宗
【訪問】2022年10月中旬
【住所】滋賀県犬上郡甲良町大字池寺26
【拝観】 無休
【拝観料】大人600円 、中学生300円、小学生200円
     後陣特別拝観料1,000円
【公式サイト】・https://saimyouji.com
【駐車場】300台無料
【仏像】◎重文 ●県指定 ◯町指定
本堂前陣
・御前立秘仏 薬師瑠璃光如来立像(虎薬師) 江戸時代
◎二天王立像(広目、多聞) 平安時代
◯日光月光菩薩立像 鎌倉時代
十二神将立像 鎌倉時代 伝・運慶の弟子作
 その他
本堂後陣
◎釈迦如来立像 鎌倉時代
不動明王・二童子像 平安時代
阿弥陀如来三尊立像 鎌倉時代 伝・快慶作
◯弁財天坐像 室町時代
◯元三大師坐像 塑像 室町時代
親鸞上人坐像 鎌倉時代
 その他
二天門
◯二天王立像 室町時代