イスラエルのガザ侵攻やら政治と金問題やら暗い世相を吹き飛ばすべく、明るく楽しいヨハン・シュトラウスの「こうもり」を観に新国立劇場に行ってきました。
ハインツ・ツェドニクの演出、オラフ・ツォンベックの美術という新国立劇場定番のプロダクションで、アデーレの変な泣き声に皆がキョロキョロするところがないなど細かい違いはありましたが、安心して見れるお洒落で愉快な舞台でした。
外国人歌手が6人も出演
今回の公演は外国人歌手が6人も出演しました(当初は7人の予定でしたが、一人病欠でした)。新国立劇場大盤振る舞いですね。コロナ禍のリベンジ消費でしょうか?
アイゼンシュタイン役のジョナサン・マクガヴァンはぽん太は初めて聴きましたが、声量もあり、コミカルな演技も上手でした。ロザリンデのエレオノーレ・マルグエッレも豊かな声量を持ち、チャールダーシュも貫禄がありました。アデーレのシェシュティン・アヴェモも可愛らしかったです。
ちょっと残念だったのが、オルロフスキー公爵のタマラ・グーラ。高音と低音の発声がぜんぜん違っていて、間のけっこうな音域がちっとも聞こえませんでした。他のお客様も満足できなかったのか、アリアのあとに拍手がおきなかったりして、ちょっと可哀想でした。
フロッシュ役は、コミカルな演技で楽しませてくれたフランツ・シュラーダはさすがに卒業して、今回はホルスト・ラムネク。ひょろっとしたノッポ体型で、見た目から喜劇っぽく、演技も上手でした。アンネン・ポルカのメロディーにのせて歌も披露!と思ったら、ウィーン出身の歌手なんですね。
フランクの代役を務めた畠山茂、アルフレードの伊藤達人も良かったです。
指揮のパトリック・ハーンもぽん太は初めてです。オペラの指揮の良し悪しはぽん太にはよくわかりませんが、序曲はあんまりためないで、スピーディーでスタイリッシュな演奏でした。演奏は東京フィル。新国立劇場合唱団はいつもながら見事。東京シティ・バレエ団のバレエも楽しめました。
ヨハン・シュトラウスの時代も暗かったの?
このような底抜けに楽しくて美しく流麗なオペレッタを作るなんで、ヨハン・シュトラウスの時代は相当ブラックだったに違いないと思い、「こうもり」の時代背景を調べてみました。
「こうもり」の初演は1874年のウィーン。あれれ、ということはまさに精神分析家ジグムント・フロイトの時代のウィーンですね。
フロイトが生まれたのが1856年。一家は1859年にウィーンに転居します。1974年というと、フロイトがウィーン大学で学んでいた頃。このあとパリ留学を経て1886年にウィーンに戻ったフロイトは、精神分析という治療法を創始します。
この時代は大まかな流れで言うと、フランス革命に始まった自由平等思想と、ウィーン体制に代表される復古主義の争いの時期で、資本主義の発展とともに市民階級の勢いが増しました。一方では資本家と労働者のあまりの格差に対する反発から、社会主義運動が台頭してきました。
オーストリアでも1848年に3月革命が勃発。自由と民主主義を求める民衆と政府がぶつかり、政情は混乱。当時23歳だったヨハン・シュトラウスも熱に浮かれて革命を支持する音楽を作曲し、反政府的活動を行います。
しかしこの年、新しい皇帝となったフランツ・ヨーゼフ1世は、王権は神によって皇帝に授けられたという王権神授説をガチで信じる根っからの復古主義者で、自由主義を徹底的に弾圧。ヨハン・シュトラウスは身を翻して皇帝を讃える曲を作ったりして媚を売りましたが、皇帝はなかなか許してくれず、父のヨハン・シュトラウス1世が務めていた宮廷舞踏会音楽監督の役職を継がせてもらえないなおど、意地悪が続いたようです。ヨハン・シュトラウスがこういう情けない人間だったからこそ、情けない弱い人々を愛する「こうもり」のような作品が生まれたのかもしれませんね(ヨハン・シュトラウス2世 - Wikipedia)。
1853年、フランツ・ヨーゼフ1世は、長年の懸案だったウィーンを囲む城壁を撤去し、ウィーンの都市改造に取り掛かります。城壁の跡には環状道路が作られ、新たな目を引く建造物が次々と建てられましたが、それらは過去の様々な建築様式の寄せ集めで、まさに「虚栄」の象徴でした。
1859年のイタリア統一戦争での敗北は、オーストリア人に屈辱を与え、また財政の悪化も招きました。国家の改革を余儀なくされたフランツ・ヨーゼフ1世は、あれほど嫌っていた自由主義を取り入れて議会を整備するなど、立憲君主制的な政治体制を整えました。
イタリアを失ったオーストリアは、今度はドイツ連邦で主導的役割を得ようとしますが、1866年に始まった普墺戦争でビスマルク率いるプロシアにあっけなく敗れます。このあとオーストリアは、ハンガリーなど東方に活路を見出していくことになります(フランツ・ヨーゼフ1世 (オーストリア皇帝) - Wikipedia)。
敗戦の翌年の1867年にヨハン・シュトラウスは合唱用のワルツを発表しますが、当初つけられた歌詞は、「ご時制なんて気にするな、悲しんだってどうしょうもないさ、だから楽しく愉快に行こうぜ」といったものでした。このワルツはぜんざいでは、「美しく青きドナウ」として世界中で愛されております(美しく青きドナウ - Wikipedia)。
「こうもり」初演の前年の1873年、ウィーンで万国博覧会が開かれました。35カ国が参加し、多くの人々が来場し、各国から首脳や皇族・王族が訪れるなど、大いに賑わいました。しかし開幕前に下町でコレラが発生し、開幕直後に株価が大暴落するなど、繁栄の光と影が映し出されました(ベルリンの『こうもり』東京に舞い降りる - 東京二期会)。
こうしてみると「こうもり」が書かれた時代は、第一次大戦の頃のようにどっぷりと暗いわけではなく、日本で言えばバブルの頃のような浮かれた雰囲気と、その間に見え隠れする社会不安が入り混じったような世の中だったように思えます。
この節の冒頭でフロイトのことを書きましたが、フロイトが診察した患者さんたちは、性的なものも含めて当時の快楽を望みながら、道徳的にはそれを堕落した悪いものだと考えている人たちが多いようです。一方ヨハン・シュトラウスは、「いいじゃないか、人間だもの よはん」と弱い人間を肯定しているように思います。ヨハン・シュトラウスの観客は一般民衆で、フロイトの患者の方はちょっとハイソなブルジョアだったからでしょうか。
しかし「同じアホなら踊らにゃそんそん」とばかりにはしゃぎ回るヨハン・シュトラウスも、その裏面の寂しさや虚しさを忘れてはいなかったからこそ、快楽のかぎりを尽くして飽き飽きしながらも他人が楽しまないことを許さないオルロフスキー公爵のような人物を登場させたのかもしれません。
公演情報
「こうもり」
ヨハン・シュトラウスII世
2023年12月10日
新国立劇場 オペラパレス
公式サイト:https://www.nntt.jac.go.jp/opera/diefledermaus/
【指 揮】パトリック・ハーン
【演 出】ハインツ・ツェドニク
【美術・衣裳】オラフ・ツォンベック
【振 付】マリア・ルイーズ・ヤスカ
【照 明】立田雄士
【舞台監督】髙橋尚史
【ガブリエル・フォン・アイゼンシュタイン】ジョナサン・マクガヴァン
【ロザリンデ】エレオノーレ・マルグエッレ
【フランク】畠山 茂
【オルロフスキー公爵】タマラ・グーラ
【アルフレード】伊藤達人
【ファルケ博士】トーマス・タツル
【アデーレ】シェシュティン・アヴェモ
【ブリント博士】青地英幸
【フロッシュ】ホルスト・ラムネク
【イーダ】伊藤 晴
【合唱指揮】三澤洋史
【合 唱】新国立劇場合唱団
【バレエ】東京シティ・バレエ団
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団