ぽん太のよりみち精神科

たんたんたぬきの精神科医ぽん太のブログです。ココログの「ぽん太のみちくさ精神科」から引っ越してまいりました。以後お見知り置きをお願いいたします。

シウリーナの歌唱力に驚愕「オネーギン」新国立劇場オペラ2024年・付:チャイコフスキーの愛と苦悩

 ぽん太の2024年最初のオペラは、新国立劇場で上演された「エウゲニ・オネーギン」でした。

 プーシキンの原作を元にチャイコフスキーが作曲した名作オペラですが、クランコ振付のバレエ版も有名です。

 チャイコフスキー自身が「オペラ」ではなく「抒情的情景」と呼んだように、劇的な物語やあっと目を惹くスペクタクルこそありませんが、登場人物たちの繊細な心情や人間模様を抒情的に描いた作品で、世界中のオペラファンから愛され続けております。

 今回の公演は、外国人歌手たちのレベルがとても高かったです。特にタチヤーナ役のエカテリーナ・シウリーナの圧倒的な歌唱力が光りました。

 それに反して演出の方はぽん太はちょっと納得がいかず、感動を削がれた気がしたのですが……。

シウリーナを始めとする外国人歌手の魅力に酔いしれる

 コロナ補助金で劇場予算に余裕があったからかわかりませんが、外国人歌手たちが5人も出演し、皆が素晴らしい歌声を聴かせてくれました。

 世界トップクラスのソプラノだというタチヤーナ役のエカテリーナ・シウリーナは、前評判に違わぬ実力を発揮。声が美しく声量もあり、表現力も豊かでした。「手紙の場」ではタチアーナの揺れ動く心情を見事に表現し、最後の「だから思い切ってあなたにこの身を委ねましょう」では声をたかぶらせて歌いきり、盛大な拍手が沸き起こりました。

 オネーギン役のユーリ・ユルチュクは実際はなかなか美男子のようですが、生きるのが下手なオネーギンを見事に演じておりました。歌声も素晴らしかったです。

 レンスキーのヴィクトル・アンティペンコは明るく伸びやかな声質。ちょっとイタリアっぽいコブシ(?)を付け過ぎのような気もしましたが、悪くなかったです。

 グレーミン公爵を歌ったアレクサンドル・ツィムバリュクは、声も姿も温厚で誠実な退役軍人らしかったです。

 今回の外国人歌手陣は、みなロシアやウクライナの出身でしたが、「政治」的な分断を超えて、人類共通の素晴らしい「芸術」を堪能することができました。

 指揮のヴァレンティン・ウリューピンもウクライナ人。抒情的な演奏が見事で、途中何回かの静寂にも引き込まれました。オケは東京交響楽団。新国立合唱団、演技やダンスご苦労様でした。合唱指揮はいつもの三澤さんじゃなくて冨平恭平という方でした。

違和感の多い演出に感情移入できず

 歌手の素晴らしさに比べ、演出は違和感を感じるところが多かったです。

 今回の「オネーギン」は2019年10月に新制作されたドミトリー・ベルトマン演出によるプロダクションの再演です。前回もぽん太は観ているはずですが、なぜか記憶にないところが多く、疲れで時々意識消失していたようです。

 第一幕のセットは、ラーリン邸の背後に紅葉しかかった森が広がりとても美しかったです。しかしタチヤーナとオリガの化粧が少しケバく、オリガの服はピンクでフリルがいっぱい付いて、田舎貴族の姉妹の清楚さが感じられません。「手紙の場」では、夜が明けてから母親とオリガが窓の外から覗いていて、最後にこっそり部屋に入ってきて書き損じた手紙を拾って行きました。いったいどうなるのかと思いましたが、その後特に伏線回収はありませんでした。

 第2幕第1場のラーリン家の宴では、フランス人トリケがヘンテコな化粧と服装の泥酔状態でした。また、オネーギンとレンスキーの決闘沙汰になったというのに、招待された村人たちは、そんなことそっちのけで料理やお酒を貪っている始末。悲劇的な緊迫感が台無しです。決闘の場面でも、オリジナルではオネーギンの介添人は従者ギヨーのはずですが、またしてもトリケが二日酔いのまま登場。なんか重々しい決闘に関する部分を、徹底的におちゃらけさせようとしているかのようです。

 最後のグレーミン侯爵邸の舞踏会では、タチヤーナが真紅のドレスで登場! 娼婦かよ。気品がありつつも貞淑で、娘時代の恋心を思い出しつつもオネーギンの求愛を毅然と退けるラストに感情移入できませんでした。

 それからもうひとつ幕間の件で一言。今回の舞台は休憩が一回で、前半がラーリン家の宴の第2幕第2場までで、30分の休憩を挟み、後半が第2幕第3場の決闘シーンからラストまででした。しかし決闘シーンからグレーミン侯爵邸の舞踏会までは数年間の隔たりがあります。全体の上演時間の関係があったのかもしれませんが、時間的繋がりからいうと、原作通りそれぞれの幕ごとに休憩を挟んで欲しかったです。

ベルトマンの斬新な演出も実はいいのかも

 演出のドミトリー・ベルトマンは、モスクワのヘリコン・オペラの創立者で、どうやら斬新な演出が多いようです。「オネーギン」はこれまで8回演出したそうですが、ストックホルムの公演では舞台をイケアにしたり、ペテルブルグ公演では駅を舞台にして登場人物を全員旅行者にしたそうです(新国立劇場 オペラトーク『エウゲニ・オネーギン』(ダイジェスト版) - YouTube)。

 今回の演出は1922年のスタニフラフスキーの演出を踏まえているそうです。スタニフラフスキーはロシア革命前後に活躍した俳優・演出家で、俳優が「役を生きる」ことを求め、スタニフラフスキー・システムと呼ばれる教育法を生み出し、その後の演劇に多くの影響を与えたとネットに書いてありましたが、ぽん太にはよくわかりません。またスタニスラフスキーの演出がどういうもので、今回の舞台のどの部分に反映されているのかは、検索してもよくわかりませんでした。

 舞台装置に使われたギリシャ風の円柱を持つファサードは、スタニフラフスキーが「オネーギン」の上演を行った自宅兼スタジオの内装を模したもので、Stanislavski on Operaという本に写真が載っているそうです(新国立劇場「オネーギン」とスタニスラフスキーの「オネーギン」 | 演出家・翻訳家「家田 淳」公式Website)。この本にスタニフラフスキーの演出がどういうものだったか書かれていそうですが、今はこれ以上よりみちする元気がないので、今後の宿題にしたいと思います。

 ラーリン家の宴では、オネーギンとレンスキーが決闘することになったというのに、村人たちは食事や酒に群がっています。またグレーミン侯爵の舞踏会では、貴族たちはまるで個性を失ったロボットか何かのような不気味さが感じられます。どちらも群衆というものの勝手さ、愚かさを表現しているんだそうです(ベルトマン演出のオペラ『エウゲニ・オネーギン』―作品とその観どころ | 新国立劇場 オペラ)。

 ぽん太はこれまでオネーギンが変人で諸悪の根源のように思っていたのですが、よく考えると彼はこのオペラの主人公ですし、生きるのは下手だけど憎めないところもあるのかもしれません。一般人だって変だよな〜というのも一理あるかも。あるいは村人たちや貴族たちは、オネーギンの心象風景なのかも……。手紙を書いたタチヤーナを諌めるシーンも冷酷さや侮辱は感じられなかったし、ラーリン邸の宴ではレンスキーが嫉妬で怒り狂うのを見て、自分の浅はかな行動を後悔してました。クランコ振付のバレエ「オネーギン」では、オネーギンはタチヤーナの手紙を破り捨てる演出なので(タチヤーナも仕返しとばかりにラストでオネーギンの手紙を破り捨てます)、それと記憶が混ざっていオネーギンが悪いやつだとぽん太は思ってしまったのかもしれません。ぽん太はこれまでよりちょっとオネーギンに同情できるようになりました。

 そしてラストシーン。舞台下手にはタチヤーナが脱ぎ捨てた赤いドレスが、そして上手には彼女が少女の頃から愛読していた本が投げ出されます。タチヤーナが部屋を去ったあと、オネーギンが手に取ったのは……。観た人はわかりますネ。

 いろいろ調べてゆっくり考えてみると、けっこう面白い演出だったのかも。なんだかもう一度観たくなってきました。

チャイコフスキーの愛と苦悩

 チャイコフスキーが『エウゲニ・オネーギン』を作曲したのは1877年から1878年にかけてですが、この時期にアントニーナ・ミリューコヴァとの結婚と短期間での破綻という出来事があったことはぽん太は知ってました。しかしチャイコフスキーが無謀な結婚に踏み切った理由が、同性愛関係にあったウラジーミル・シロフスキーと決別するためだったということは、こんかい初めて知りました(インタビュー&コラム|『エウゲニ・オネーギン』公式サイト|新国立劇場 オペラ)。

 ミリューコヴァは、モスクワ音楽院で教師をしていたチャイコフスキーの生徒でした。恋心を抱いた彼女は、チャイコフスキーに熱烈なラブレターを送りました。誰とでもいいから結婚したいと決意したチャイコフスキーは、1877年7月18日に彼女と電撃的に結婚しました。しかし結婚生活は悲惨なもので、チャイコフスキーは直ちに結婚を後悔するようになり、精神的にも崩壊しかかってモスクワ川に胸まで浸かって歩き回ったりしたあげく、羽生結弦くんの105日より短い結婚後わずか6週間後、発狂寸前の状態でモスクワを離れました。ペテルブルグで彼を診察した精神科医は、重症と判断したそうです。

 しかし結婚前の7月初旬に「オネーギン」の大部分のスケッチを描き終えたいたチャイコフスキーは、交響曲第4番と並行しながら、1878年の1月20日にはほぼ全体のオーケストレーションを完成させ、1899年3月17日には初演が行われました(エフゲニー・オネーギン (オペラ) - Wikipedia)。してみると精神科医の端くれのぽん太から見ると、チャイコフスキーの精神症状はストレスが原因の急性一過性のものだったと思われます。

 ミリューコヴァは離婚を受け入れず、戸籍上はチャイコフスキーの妻、そして未亡人であり続けたそうです(『名作オペラ・ブックス(25)エウゲニ・オネーギン 』)。

 で、今回の公演をきっかけに、前回公演(2019年10月)時のベルトマンのインタビュー記事(インタビュー&コラム|『エウゲニ・オネーギン』公式サイト|新国立劇場 オペラ)を読み返してぽん太は初めて知ったのですが、チャイコフスキーが好きでもないミリューコヴァと電撃結婚した理由は、当時関係があったウラジーミル・シロフスキー(男性です)と決別するためだったそうです。

 シロフスキーはモスクワ音楽院におけるチャイコフスキーの生徒でしたが、チャイコフスキーに多額の経済的支援を行い、裕福だったため湯水のようにお金を使ったそうです。やがて二人は親密な関係になり、モスクワ中の人々の口の端にのぼるようになりました。この関係を清算するためチャイコフスキーは誰とでもいいから女性と結婚しようと考えたのだそうです。

 ちなみにチャイコフスキー交響曲第3番はシロフスキーに献呈されております。また「オネーギン」の台本を手伝ったジャーナリスト・作家のコンスタンティン・シロフスキーは、彼の兄だそうです。

 この逸話がどの程度立証された史実なのかぽん太はわかりませんが、チャイコフスキーが同性愛者だったことはよく知られているので、さもありなんと思われます。

公演情報

「エウゲニ・オネーギン」
ピョートル・チャイコフスキー

新国立劇場オペラハウス
2024年1月25日

公式サイト:エウゲニ・オネーギン | 新国立劇場 オペラ

【指 揮】ヴァレンティン・ウリューピン
【演 出】ドミトリー・ベルトマン
【美 術】イゴール・ネジニー
【衣 裳】タチアーナ・トゥルビエワ
【照 明】デニス・エニュコフ
【振 付】エドワルド・スミルノフ
【舞台監督】髙橋尚史

【タチヤーナ】エカテリーナ・シウリーナ
【オネーギン】ユーリ・ユルチュク
【レンスキー】ヴィクトル・アンティペンコ
【オリガ】アンナ・ゴリャチョーワ
【グレーミン公爵】アレクサンドル・ツィムバリュク
【ラーリナ】郷家暁子
【フィリッピエヴナ】橋爪ゆか
【ザレツキー】ヴィタリ・ユシュマノフ
【トリケ】升島唯博
【隊 長】成田眞

【合唱指揮】冨平恭平
【合 唱】新国立劇場合唱団

管弦楽】東京交響楽団