9月中旬、ぽん太とにゃん子は箱根にある強羅環翠楼に泊まってきました。元々は三菱財閥岩崎家の別荘だった名旅館。昭和天皇や文豪たちも宿泊しております。お値段はちょっとお高いのですが、割引プランにふるさと納税の宿泊券を組み合わせて、なんとか射程内に納まりました。古い木造建築の和風旅館が好きで、多少使い勝手が悪くても大丈夫という方におすすめです。
強羅環翠楼に関しては既にさまざまな宿泊記がアップされているので、この記事では、塔ノ沢の元湯環翠楼との関係などの宿の歴史と、源泉を中心に記載いたします。
強羅駅のすぐ近くだけど静かな雰囲気
強羅駅から徒歩3分の近さですが、ちょっと奥まったところにあるので、とても静かな雰囲気です。玄関も有名旅館にしては地味でこじんまりとしております。岩崎家の建物を保存してるからでしょうか、隠れ家的雰囲気を出すためでしょうか。
帳場も昔ながらの雰囲気ですね。
強羅環翠楼の歴史
強羅の開発と岩崎康弥の別荘建設
強羅の開発が始まったのは明治21年。明治27年には早雲山から、その後さらに大涌谷から引き湯が行われ、温泉開発が行われました。明治45年から温泉付き別荘地の分譲が行われ、大正8年に箱根登山鉄道が強羅まで延びると、著名人の別荘地として栄えました。
三菱財閥創業者の岩崎弥太郎の三男、岩崎康弥が分譲地を購入したのが大正4年、数年後に別荘を建て、避暑地として利用しておりました。
昭和3年、閑院宮載仁(かんいんのみや ことひと)親王が康弥の別荘に滞在し、強羅を大変気に入りました。そこで康弥は自分の別荘地の南半分を載仁親王に譲り、ここに親王は別荘を建てました。これが現在の高級旅館・強羅花壇ですね。
ちなみに昨今の話題で言うと、閑院宮載仁親王は終戦目前の1945年5月20日に亡くなりましたが、大日本帝国憲法下で最後の「国葬」が行われたひとだそうです。
塔ノ沢の元湯環翠楼と関係あるの? 大戦後に元湯環翠楼経営者が購入し旅館を開業
しかし第二次世界大戦の終戦後、財閥解体が行われ、康弥は昭和23年に別荘地を売却することになりました。これを購入したのが、塔ノ沢の元湯環翠楼を創業した鈴木二六で、姉妹館として強羅環翠楼を昭和24年に開業。別荘の建物と庭は保存し、客室棟を増築していきました。
一階が「松の間」、二階が「晴旭の間」となっているこの建物は、大正時代の当時のままに残されております。
強羅初の自家源泉を掘り当てる
上に書いたように、これまで強羅の温泉は早雲山や大涌谷からの引き湯でしたが、昭和27年、鈴木は敷地内に自家源泉を掘り当てます。
粒子の荒い写真で申し訳ありませんが(こんかいカメラの設定がおかしくなっていて露出不足の写真ばかりです)、内湯の入り口に展示してあるこのポスターが、その時のものですね。
ラフォーレ倶楽部の森トラストが経営を引き継ぐ
時は流れて平成29年、ラフォーレ倶楽部の森トラストが強羅環翠楼を取得(森トラストのプレスリリース)。細かい事情はググった程度ではよくわかりません。当面は「強羅環翠楼」として運営を進めながら、老朽化した施設の改修などを行なっていくとしておりますが、「将来的には、歴史を重ねた建築物や庭園の最適化を通じ、本旅館の魅力を最大限に活かした、世 界の富裕層が求める高級宿泊施設への再生を検討してまいります」と書かれており、そのうちぽん太には手の届かない高級旅館になるかもしれません。泊まるなら今のうちか?
※この項の参考文献は、客室に置いてあった下のリンクの本です。
客室は昭和の上質な和室
今回ぽん太とにゃん子が泊まったのは本館の一昭亭の2階にある「松の間」。戦後に温泉旅館を開業後に建てました部分と推測されます。
一昭亭入り口の看板には、小説家・丹羽文雄の名前が……。
落ち着きますね〜。窓から庭園・華清園の木々を眺めることができます。窓ガラスはところどころウネウネ波打った大正ガラスが残ってます。窓枠も木製で、夜間や風雨が強い時は雨戸を閉めます。このままアルミサッシュにしないでほしいな〜。森さん、お願いします。
建物を外側から見たところ。二階が「松の間」です。しぶいですね〜。
ふたつの自家源泉を楽しめる温泉
「松の間」は残念ながら部屋に露天風呂がついていないので、共同風呂を利用します。男女入れ替え制の内風呂と、男女別の露天風呂があります。
木とタイルのレトロな内風呂(巽の湯)
巽(たつみ)の湯という名前は、石川達三の命名とのこと。ぽん太は巽と聞いても「南東」という意味しか思い浮かばず、どういう意味が込められているのか不明です。
お湯は無色透明、無味無臭の肌に優しいお湯です。
木造の建物で、天井にある昔ながらの湯気抜きがいい感じです。床と腰壁はレトロな青いタイル。浴室の縁は木製ですが、内部は石が貼られています。
浴槽のかたちが可愛らしい内風呂(ひょうたんの湯)
もう一つの内湯は、名前の通りひょうたんの湯。ひょうたんの小さい方は、水深が非常に浅く、入っていてもなんだか落ち着きません。こちらはコンクリー製と思われる新しい浴室です。天井も半透明のプラスチック板が張られていて、明るいです。
回廊の先にある緑に囲まれた露天風呂
露天風呂は、本館裏手の中玄関から外にで、長い回廊を進んだ先にあります。
庭園・華清園の緑を眺めながら入ることができます。こちらのお湯は、アルカリ性単純温泉の源泉が100%使われており、すべすべ感があります。ただ消毒が行われているため、若干塩素臭があるのが残念です。
露天と内湯で違う泉質。もちろん源泉掛け流し。
温泉分析書はうまく撮れなかったので、上のリンクのブログ内の写真にリンクを貼っておきます(→露天の温泉分析書、内湯の温泉分析書)。
露天の方は、源泉の台帳番号が「宮城野 第115号」となっております。泉質はアルカリ性単純温泉(アルカリ性低張性高温泉)。源泉温度は47.9度。pH8.8のアルカリ性で、これがすべすべ感の理由ですね。
この源泉が、鈴木二六氏が昭和27年に掘り当てた強羅初の源泉と同一なのかどうかよくわからないのですが、公式サイトなどを見ても特に触れられていないことから、異なるもののような気がします。
掲示によると、加水・循環なしの源泉掛け流しですが、寒い時期だけ温度調整のための加温が行われているそうです。また消毒も行われていちょっと塩素臭がしますが、衛生上仕方ありません。
上にリンクさせていただいたブログは2021年10月の記事ですが、そこにアップされている写真では「消毒なし」になっております。消毒が行われるようになったのはごく最近なのかもしれません。
さて内湯の方ですが、台帳番号が「宮城野 第33,115号混合」となっております。つまり露天風呂のお湯と、もうひとつ第33号の源泉が混合されて注がれているのですね。
この混合泉の泉質は単純温泉(弱アルカリ性低張性高温泉)で、泉温は46.2度。pHは8.4と露天よりややアルカリ性が弱いです。
第33号源泉単独の泉質はよくわからないのですが、公式サイト(温泉のご案内│強羅環翠楼)に「敷地内の地下約1000mにある約32度の自家源泉」と書いてあるのがそれのようです。
内湯も加水・循環なしの源泉掛け流しですが、常時加温されており、消毒もされているようです。
美味しくて盛り付けも美しいお料理
夕食は美味しいけど食べきれません
夕食はお食事どころでいただきます。若い中居さんが元気に一つひとつ説明して下さいます。
写真は先付けと前菜です。ぽん太は料理のお味をあれこれ言う知識はないのですが、関西風なのか何なのか、品の良いちょっと薄めの味付けで、とっても美味しかったです。
お造りの盛り付けの彩りも見事で、食べる前にため息が出ます。
松茸の土瓶蒸しです。ぽん太とにゃん子の、今年の初松茸です。はたして二回目はあるのか?
鮑磯焼きは海苔をかけて焼いてありました。ぽん太は初めての食べ方です。
メニューをアップしておきます。メインの肉料理の前にお腹がいっぱいになります。
他のお客さんの質問に中居さんが答えて、料理長さんは二十年以上務めていると言っていたので、ラフォーレが買い取る以前からの料理長さんということですね。そのお客さんは、お料理が目当てで何度も来ていると言ってました。
朝食はふっくらした干物と品のいいカニの味噌汁
朝食です。料理に不安ないなぽん太は前で「関西風か」とか書きましたが、卵焼きは甘い味付けでした。定番の干物は、ふっくらして柔らかくて美味しかったです。蟹のお味噌汁は味噌が少なくて、蟹の臭みが全然なく、蟹の美味しさを味わえました。
広大な庭園を散策できます
よく手入れされた広大な庭園があり、散策をすることができますが、あいにくの雨だったので早々に切り上げました。
基本情報
【旅館名】箱根環翠楼
【住所】神奈川県足柄下郡箱根町強羅1300
【公式サイト】・https://gourakansuirou.co.jp
【宿泊日】2022年9月中旬
【泉質】
(露天)アルカリ性単純温泉(アルカリ性低張性高温泉)
(内湯)単純温泉(弱アルカリ性低張性高温泉)
◯源泉掛け流し 加水(-)、加温(+)、循環(-)、消毒(+)
【ウォシュレット】あり
【Wi-Fi】あり (一部客室はなし)
【宿泊料】特別料金!スタンダードプラン
2名1室、1人24,300円