ぽん太のよりみち精神科

たんたんたぬきの精神科医ぽん太のブログです。ココログの「ぽん太のみちくさ精神科」から引っ越してまいりました。以後お見知り置きをお願いいたします。

諏訪法性の兜の実物がある・御神渡りと狐の関係 2022年12月国立劇場 文楽『本朝廿四孝』 

 2023年10月で建て替えのため閉場する国立劇場のさよらな公演。2022年12月の文楽公演『本朝廿四孝』を観てまいりました。

武将たちの知略策略が複雑すぎます

 この演目は、「十種香」と「奥庭狐火」が歌舞伎でもよく上演され、ぽん太も何度も観たことがあります。ただ部分的な上演のため前後関係がよくわからず、切腹した武田勝頼がなぜ簑作と名を変えて信玄の館に仕えているのか、「濡衣」というなんだか勝頼と訳ありの腰元は誰なのか、これまで謎に思っておりました。

 こんかい二段目と四段目の通しを観て、ようやく状況が理解できました。しかしどうわかったかを書くには、とても長い文章が必要になるので、たとえばこちら(文楽 『本朝廿四孝』全段のあらすじと整理 - TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹)のサイトなどを見て、自分で理解してください。

 といってもこの物語、とっても複雑なため、ぽん太も完全にわかったわけではありません。戦国時代の武将たちの虚々実々の駆け引きや策略、「実ハ」の連続で、壮大といえば壮大なストーリーですが、難しすぎてヨクワカランと言うこともできます。

 一例をあげると、武田信玄の息子勝頼が、将軍足利義晴暗殺の疑いをかけられて切腹。そこに武田家の家老の板垣兵部が、息子の簑作を勝頼の身代わりにしようと連れてくるのですが、時や遅し……。

 と思いきや、この裏には板垣兵部の策略が隠されていたのです。17年前に勝頼が生まれたのと同じ時期に、兵部も息子を授かりますが、二人がそっくりなことに気づいた兵部は赤ん坊を取り換え、自分の息子を勝頼として武田家の跡取りにしようとし、本当の勝頼を簑作として自分が育てていたのです。ところがいまや、勝頼となっていた自分の息子の命が危うくなったので、自分の息子簑作として育てていたホントの勝頼を、偽勝頼の身代わりにしようと連れてきたのでした。

 ところが信玄は兵部に一太刀を浴びせます。実は信玄は即座に兵部の策略を見抜き、簑作と接触し、自分の息子のホントの勝頼であることを知らせて、17年間見守ってきていたのです。

 みなさん、理解できましたか? これだけでお腹いっぱいという感じですが、このような丁々発止の知略・策略がいっぱい出てきます。

 もう一つ例をあげましょう。ラストの「道三最後の段」では、簑作姿のホントの勝頼を上杉謙信の元に連れてきた花守関兵衛が、実は斎藤道三であることが判明します。そして道三こそが将軍足利義晴暗殺の張本人でした。斎藤道三の先祖である太田道灌(?)が、足利氏に美濃を奪われた恨みを、「みの(美濃)一つだになきぞ悲しき」と歌に詠んだ。その恨みを晴らすために将軍義晴を暗殺したというのです。簑作の簑ともかかっていて、伏線回収ですね。でも史実と比べると無茶苦茶です。

諏訪法性の兜の実物が諏訪湖博物館・赤彦記念館にあります

 『本朝廿四孝』に出てくる有名アイテムといえば「諏訪法性の兜」(すわほっしょうのかぶと)です。

 この兜は武田家の重宝で、武田信玄と長尾謙信の不仲の原因となり、「奥庭狐火の段」では兜を守護する狐が八重垣姫に取り憑いて、諏訪湖の氷の上を渡っていきます。

 「諏訪法性の兜」は、諏訪明神から授かったとも言われ、諏訪明神の神力が宿った兜で、信玄が合戦の際に身につけていたそうです。

 「どうする家康」でも信玄役の阿部寛が被ってましたね。下にリンクした動画をぜひご覧ください。

 実は「諏訪湖博物館・赤彦記念館」に、法性の兜の実物があるのです。

 ぽん太は2014年に見に行ったことがあるのですが、残念ながら展示されていたのはレプリカで、本物は時々公開されるのだそうです。

 大河ドラマ「どうする家康」の人気を受けて、今年の4月27日から5月7日まで本物が展示されていたようですね。

  この兜は、諏訪大社上社神長官(かみしゃじんちょうかん)の守矢(もりや)家に伝えられたものだそうですが、これがホントに信玄が被ったものなのか、あるいは他にも諏訪法性の兜があるのかについては、ぽん太にはよくわかりません。

 

諏訪湖の「御神渡り」と狐の関係

 「本朝廿四孝」では、諏訪法性の兜を守護する狐が八重垣姫に取り憑いて、凍った諏訪湖の上を渡っていきますが、ここでは諏訪湖の「御神渡り」の伝承が取り入れられています。

 御神渡りとは、諏訪湖を覆う氷の上に、南北に走る山脈のような氷の盛り上がりができる現象です。高いところでは2m近くにもなり、諏訪神社上社の建御名方命男神)が下社の八坂刀売命(女神)のもとに通った跡だと言われています。

 実際には諏訪湖が全面凍結したときに、膨張・収縮によって氷の亀裂が盛り上がる現象だそうです。

 御神渡りと狐の関係についてですが、検索してもヒットしません。以前に諏訪湖博物館・赤彦記念館に諏訪法性の兜を見に行ったとき、学芸員さんにお話をお伺いしたのですが、御神渡りの神事と狐はやはり無関係とのことでした。

 ということで、狐の霊力で諏訪湖の氷の上を渡るというのは「本朝廿四孝」の創作なのかな〜と思っていました。

 ところがある時『宮地團四郎日記―土佐藩士が見た戊辰戦争』(小美濃清明編著、右文書院、2014年)という本を読んでいた時、凍った諏訪湖と白狐の話に偶然出くわしました。戊辰戦争に参加した土佐藩士の日記を読み解いた本なのですが、京から江戸に向かう途中に諏訪湖にさしかかりました。そこで彼は、諏訪湖の水が凍ると白い狐が通り、そこが街道になって人馬の通行が始まり、春になって暖かくなると再び白狐が通るのを合図に、通行が出来なくなると書いています。

 ということは、これがいわゆる「御神渡り」かどうかはわかりませんが、幕末の頃は凍った諏訪湖と白狐の関わりは一般に知られていたことになります。

 この話が、諏訪湖と狐の伝説が元々あったのか、それとも「本朝廿四孝」の創作が世間に広まったものなのか。またこの伝説がなぜ現在は消えてしまったのか、ぽん太には未解決の問題です。

公演情報

初代国立劇場さよなら公演
『本朝廿四孝』 (ほんちょうにじゅうしこう)

2022年12月
国立劇場 小劇場
公式サイト:https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/kokuritsu_s/2022/41210.html

二段目 信玄館の段  聖太夫 燕二郎
    村上義清上使の段   南都太夫 團吾
    勝頼切腹の段   織太夫 燕三
    信玄物語の段   藤太夫 宗助
四段目 景勝上使の段   碩太夫 友之助
    鉄砲渡しの段   寿太夫 寛太郎
    十種香の段    呂勢太夫 藤蔵
    奥庭狐火の段   希太夫 清志郎 ツレ清允 琴清方 アト竹薫太夫 清方
    道三最期の段   亘太夫 錦吾   

人形役割
    奴角助 玉峻
    奴掃兵衛 簑悠
    腰元濡衣 一輔
    奥方常磐井御前 文昇
    村上義清 勘次郎
    勝頼実は板垣子息 紋臣
    板垣兵部 亀次
    蓑作実は武田勝頼 玉佳
    武田信玄 文司
    長尾謙信 玉勢
    長尾景勝 紋秀
    花守り関兵衛実は斎藤道三 簑紫郎
    八重垣姫 簑二郎
    白須賀六郎 勘介
    原小文治 簑之
    山本勘助 玉輝
    侍・腰元・駕籠舁・軍平 大ぜい