ぽん太のよりみち精神科

たんたんたぬきの精神科医ぽん太のブログです。ココログの「ぽん太のみちくさ精神科」から引っ越してまいりました。最近はオペラやバレエの感想や、温泉のご紹介が多いです。以後よろしくお願いします。

ミキエレット演出は見事だが結末は疑問《コジ・ファン・トゥッテ》新国立劇場オペラ

 新国立劇場オペラの《コジ・ファン・トゥッテ》は、人気演出家ダミアーノ・ミキエレットによるキャンプ場を舞台にしたプロダクション。ぽん太はたぶん3回目でしょうか?

ミキエレットの読み替えはお見事!

 ミキエレットの演出はなかなか見事です。女性が心変わりすするかどうかを確かめるため、二人の男性が互いに相手の婚約者を誘惑するというちょっと突拍子も無いストーリーですが、キャンプ場のうきうきわくわくした雰囲気だとしっくりきます。

 第1幕のフィオルディリージとドラベッラの冒頭の会話もふたりで雑誌を見ている設定で、ロケットの婚約者の肖像に見惚れるシーンは雑誌のグラビアに置き換えられ、手相を占うシーンは雑誌の星占いコーナーになってたり、うまくできてます。

 回り舞台を利用した森や水に囲まれたセットも美しく、ちょっと『真夏の夜の夢』(これもカップルがあべこべになるというドタバタですよね)を思い出しました。

歌もビジュアルもいい出演者たち

 女性陣はタンクトップに短パンという出立ちなので、二人ともスタイルが良かったです。また男性陣も、大河ドラマの『鎌倉殿の13人』じゃないけど、川(池?)で上半身裸になるという女性客へのサービスシーンがありましたが、二人とも体が引き締まって筋肉隆々でした。

 フィオルディリージのセレーナ・ガンベローニは、ちょっと低音がきつそうなところはあったけど、清楚で純真な素晴らしいアリアを聴かせてくれました。ドラベッラのダニエラ・ピーニは、対照的に深みのある声が美しかったです。フェルランドのホエル・プリエトは若々しく力強い歌声。スペイン生まれのプエルトリコ育ちとのこと。グリエルモはインディオ系の歌手かな〜などと思っていたら、大西宇宙という日本人だと知ってビックリ。歌も演技も最高でした。アルフォンソのフィリッポ・モラーチェはちょっと声が軽いか? 普通のおじさんという感じで、登場人物全員を裏から操る人物としての存在感がもう少し欲しかったです。デスピーナの九嶋香奈枝が怪演。

 演奏は飯森範親指揮の東京フィルでしたが、例によってぽん太は演奏の良し悪しはよくわかりません。

破局という結末には疑問が残る

 《コジ・ファン・トゥッテ》は1790年にウィーンで初演され、決して評判は悪くなかったようですが、19世紀には不道徳・下品・女性蔑視などとみなされて評価が下がり、様々に翻案・改作されたかたちで上演されました。1世紀ののち、ようやくリヒャルトシュトラウスミュンヘン、1897年)やマーラー(ウィーン、1900年)によってオリジナルの上演が行われ、20世紀には再評価されてモーツァルトのオペラの代表作のひとつと見なされるようになりました(「モーツァルト コシ・ファン・トゥッテ(名作オペラ・ブックス9)」音楽の友社、1988年、P221)。

 それにしても4人が仲直りしてめでたしめでたしという取って付けたような結末には違和感を覚える人が多いようで、現代でも本来とは異なる演出が多いようです。

 今回のミキエレットの演出は、男性陣は荒々しく椅子を投げたりキャンピングカーを蹴飛ばしたりして怒りを爆発させ、4人だけではなくデスピーナもバラバラに走り去り、アルフォンソだけが舞台上に取り残されるというもの。

 前回の2013年の公演では、最後に残ったアルフォンソがガハハと大きな口を開けて笑い、最初から恋を壊すつもりで、してやったりという感じでした。今回は、アルフォンソは複雑な表情でひとりたたずむというかたちに変更されており、何を考えていたのかは観客にお任せしますになってました。

 しかしぽん太は、オリジナルのとってつけたようなハッピーエンドも嫌いではありません。オペラのラストで全員が歌う歌詞は、以下のようなものです。

幸せ者だ 考えることができるのは
あらゆることを 良い方に
そしてどんな事件や出来事にあっても
理性的に振舞えるなら
ほかの人間なら泣かされるようなことでも
彼にとっては 笑いの種
この世界の旋風の真っ只中にいても
心地よい静けさを見いだすのだ

コジ・ファン・トゥッテ ActⅡ-2 | オペラ対訳プロジェクト

 人間なんてこんなものだという事実を認めましょう。だからといって感情的になって、怒りに駆られたり、絶望してはいけない。「理性」の力を働かせるのです。人間の弱さを認めた上で、愛し合い、幸せな家庭を築いていくのです。このようなメッセージが込められているように思います。

 ちなみに今回の公演の字幕には、「理性」という言葉は出てこなかった気がします。

 《コジ・ファン・トゥッテ》が初演された1790年といえば、フランス革命の翌年です。市民が「自由・平等・友愛」を掲げ、絶対支配者であった国王・ルイ16世を処刑し、民主主義社会への一歩を踏み出した時代だったのです。

 こうした動きの思想的背景には「啓蒙思想」がありました。これは、これまでのように「神」の教えに従うのではなく、すべての人間が持つ「理性」によって自主的に考え、行動することで、世界の本質を理解し、理想な社会を築くことができるという考え方です。フランスのヴォルテールやルソー、ドイツのカントといった哲学者たちが提唱した思想です。

  現代においても、ウクライナやガザの状況を見るにつけ、「人間なんてこんなもの」という思いがこみ上げてきます。感情的に怒りにまかせて騒ぎ立てるのではなく、絶望や無関心に陥るのでもなく、理性を働かせて解決策を見出していく必要があります。

 このような強いメッセージがエンディングには込められているような気もしますが……。

 しかし当時のオーストリア皇帝といえば、啓蒙専制君主と呼ばれ社会改革に取り組んだヨーゼフ2世で、モーツァルトの支援者でもありました。モーツァルトと、台本を書いたダ・ポンテが、「やっぱ最後はハッピーエンドにしないとな〜」「じゃ『理性』つけといてヨーゼフをヨイショしとこ」ってな程度だったのかもしれません。

 ということは、ミキエレットの演出意図は、「現代人はモーツァルトが言っていた理性を働かせることすらできてないじゃないか」ってこと? ぽん太にはよくわかりません。

公演情報

ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト
コジ・ファン・トゥッテ

新国立劇場 オペラパレス
2024年6月2日

公式サイト・コジ・ファン・トゥッテ | 新国立劇場 オペラ

【指 揮】飯森範親
【演 出】ダミアーノ・ミキエレット
【美術・衣裳】パオロ・ファンティン
【照 明】アレッサンドロ・カルレッティ
【再演演出】三浦安
【舞台監督】村田健輔

【フィオルディリージ】セレーナ・ガンベローニ
【ドラベッラ】ダニエラ・ピーニ
【デスピーナ】九嶋香奈枝
【フェルランド】ホエル・プリエト
【グリエルモ】大西宇宙
【ドン・アルフォンソ】フィリッポ・モラーチェ

【合 唱】新国立劇場合唱団
【合唱指揮】水戸博之
管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団