ぽん太のよりみち精神科

たんたんたぬきの精神科医ぽん太のブログです。ココログの「ぽん太のみちくさ精神科」から引っ越してまいりました。以後お見知り置きをお願いいたします。

【仏像】横須賀の慶派の諸仏が一堂に「運慶 鎌倉幕府と三浦一族」横須賀美術館

 8月中旬、横須賀美術館で開かれた「運慶 鎌倉幕府と三浦一族」展に行ってきました。なんか、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の柳の下のどじょうを狙ったような安易な企画に思えるかもしれませんが、そんなことはありません。運慶作の重文の不動明王毘沙門天が浄楽寺からお出ましになり、また「運慶作?」と言われる満願寺観音菩薩地蔵菩薩(こちらも重文です)も出品され、個人ではなかなか拝観できな横須賀の諸仏が顔をそろえた仏像ファンにも見応えある展覧会でした。

山本理顕設計の開放感ある建物

 観音崎近くの海沿いにある横須賀美術館は、ガラスで覆われた開放的な建物です。海側から続くなだらかな芝生の斜面の上に、低層の建物が広がり、なかなかいい感じです。

 設計はググってみると山本理顕だそうですが、知らんがね。名前の呼び方もわからん。困った時の山本理顕 - Wikipediaによると、「やまもと りけん」、本名は「みちあき」で、1945年生まれとのこと。ぽん太が実際に見たことがある作品も見当たりません。

 ぽん太と同じような状態の人は、例えば下記のサイトを見るといいかもしれません。


 玄関を入ると、橋のような廊下を渡ってエントランスホールに向かいます。


 橋の上から下を見下ろすと、展示室になってます。白い壁に丸窓が。船内のイメージでしょうか。入口の橋も、乗船するためのブリッジを思わせます。

 でも、ミニスカートの女性はちょっと気になるのでは。


 ガラスで囲まれた中庭です。美しいですが、冷房代がかかりそうです。


 屋上に至る階段の途中から、屋根を支えるトラス構造が見えるようになってます。


 屋上は、変形した四つ葉のクローバーのような形に囲われていて、東京湾を見渡すことができます。

三浦氏ゆかりの鎌倉時代のみほとけたち

 なんか建物の話が長くなってすみません。このブログはぽん太の「よりみち」精神科なので、多少のよりみちはご容赦を。

 いよいよお待ちかねの仏像を見ていきましょう。

運慶作、浄楽寺の不動明王毘沙門天

 まず初めは、なんといっても運慶作の不動明王立像(6)と毘沙門天立像(7)ですね。画像は、とりあえずこちらをどうぞ(【開幕】「運慶 鎌倉幕府と三浦一族」 – 美術展ナビ)。

 これら二体は三浦半島の西海岸にある浄楽寺の所蔵です。実は浄楽寺にはさらに運慶作の阿弥陀三尊像(阿弥陀如来坐像、観音菩薩立像、勢至菩薩立像)もあります。現存している運慶作の仏像は、諸説ありますがおよそ30体で、そのうち5体が浄楽寺にあることになります。

 浄楽寺の仏さまがなぜ運慶作と断定されたかというと、1959年に毘沙門天不動明王の胎内から銘札がみつかり、そこに1189年(文治5年)に和田義盛が夫人の小野氏とともに発願して、運慶とその弟子10人が製作したと書かれていたからです。この名刹は、今回の展覧会で実物を見ることができます。

 あれ? 和田義盛の夫人って巴御前じゃなかったっけ? 和田義盛 - Wikipediaによると、そう書かれているのは『源平盛衰記』だけで、他の書物には見当たらず、年齢的な矛盾もあることから、創作と考えられているそうです。

 運慶は浄楽寺の諸仏を作る3年前の1186年(文治2年)に、願成就院阿弥陀如来不動明王毘沙門天を作ってます。『鎌倉殿の13人』で、阿弥陀如来像の前で運慶と義時がお酒を酌み交わしていた(運慶は飲んでなかったけど)、あれですね。

 願成就院の仏像の画像はこちらをどうぞ(寺宝 | 天守君山 願成就院 公式ホームページ)。願成就院の両像は、伝統に捉われないポーズで躍動感があり、運慶が思いっきりやりたいようにやった印象があります。それらに比べると浄楽寺のものは、伝統にのっとった落ち着きのある像に見えます。その代わり毘沙門天のお顔は写実的で、坂東の若武者のようですね。

 ぽん太の妄想ですが、ヒゲモジャの和田義盛が運慶に「俺にも仏像作ってくんね〜かな。でもな、あの願成就院のはお断りだぜ。俺はゲージツはわかんねえからさ。もっと普通のやつで頼むよ」と頼んでいる姿が目に浮かんできます。

浄楽寺像とよく似た毘沙門天の念持仏

 個人像の毘沙門天立像(9)は、像高約25cmの小さな念持仏(個人が身近において私的に礼拝する仏さま)。お姿が浄楽寺の毘沙門天にそっくり。模刻なのか、それとも両者が手本にしたもう一つの像があったのか、様々な可能性が取り沙汰されているそうです。

万願寺の観音菩薩地蔵菩薩は運慶の作なのか?

 さて、本展覧会の目玉、はたして運慶の作なのかどうなのか、満願寺観音菩薩立像(18)と地蔵菩薩立像(19)に参りましょう。お姿はたとえばこちら(特別展『運慶』をレポート」の画像11/17 | SPICE)でいかがでしょう。

 ともに2mを超える大きさで、どっしりした重量感と威圧的な表情が、見るものを圧倒します。

 二体ともお顔は双子のようによく似ており、頬から顎が肉付き良く、細めた両目で前方を凝視し、口はちょっと上でキュッと小さく閉じられております。いわゆる躍動的なポーズではありませんが、自然で流麗でありながら緊張感があり、今にも動き出しそうな感じがします。

 観音菩薩は腰をゆるやかに捻り、膝を少し開いてゆったりと立っております。両腕もふわりと蓮を持っています。

 地蔵菩薩も一見定型的なお姿に見えますが、よく見ると左手で宝珠を捧げ持つことによって左肩が少し前に出て、錫杖を引きつける右肩は後ろに下がっております。こうした写実的な表現が、動きを感じさせます。

 どちらも重要文化財にふさわしい素晴らしい仏さまです。

 これら二体が運慶の作かどうかは賛否両論があり、いまだ決着はついておりません。今回の展覧会の図録には、発掘調査の結果や『吾妻鏡』の記述を踏まえて「運慶一門により諸像が製作された可能性も高い」と書かれており、「おお〜、運慶作に一票入れたぞ〜」という感じです。

やっちゃった感がある万願寺の不動明王毘沙門天

 さて満願寺不動明王(20)と毘沙門天(21)は、観音・地蔵と並べられると、差が目立って損をしてます。棒立ちで、動きも迫力もないですね。不動明王のお顔もなんか滑稽です。

 またまたぽん太の妄想ですが、「観音・地蔵だけじゃ寂しいのでもうちょっと他に欲しいな〜」などと言ってたら、地元の仏師が「そんなの慶派に頼んだらバカ高いから、俺たちが作ってやるよ。だいじょ〜ぶ。慶派の工房で1ヶ月働いたことがあるんでい」ってなことで、雰囲気をまねながら作ってみたら、こんなんなっちゃったという感じでしょうか。でも、地方仏的な味わいがありますね。

キャラ立ち半端ない曹源寺の十二神将

 曹源寺の十二神将立像(10)は、運慶「周辺」の作とされております。実際ひとつひとつの動きやポーズが面白く、キャラが立ってます。写真はたとえばこちらをどうぞ(→曹源寺の十二神将立像を間近に見るなら7月23日まで! | MCs Art Diary)。

 巳神像だけひとまわり大きく彫刻の質も優れていることから、巳年にゆかりの人物と関係ががあるのではと言われてきましたが、巳年生まれの源実朝の安泰を祈ったものではないかという説が近年出されたそうです。

 なお十二神将は、それぞれが十二の干支に割り当てられているのですが、これらの像では修復の時に取り違えてしまい、間違った干支の動物が頭の上に取り付けてしまったそうです。しかもそれらが可愛いというかヘタッピというか、元々の像の素晴らしい出来栄えとの落差に笑いが込み上げてきます。特に辰神像の図工のようなニワトリと、カッパだかなんだかよくわからない申神像の辰は、かなりヤバイです。ネットで画像を探して拡大してみてください。

矢を受けて和田義盛を助けた清雲寺の毘沙門天

 ついで清雲寺の毘沙門天立像(11)です(画像)。慶派らしい腰をひねった動きのあるポーズです。兜が取り外せるようになっているのが珍しく、この像の生身性(しょうじんせい)を表しています。生身性とは、仏像が単なる木の彫刻ではなく、現実に生きているという捉え方のこと。生身性を表す他の例としては、裸の木造に衣服を着せるとか、像の中に内蔵が納められているとか、耳や鼻の穴が貫通している、歯が埋め込まれているなどがあります。

 子供っぽくて可愛らしいお顔をしていることも考え合わせると、実在した子供に何らかの関わりがある可能性もあります。

 また生身性と関連する逸話として、1213年の和田合戦(大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で言うと、これから放映されるエピソードですが、和田義盛が北条打倒のため挙兵するが、義時に敗れて殺されるという事件)のときに、矢を受けたり拾ったりして和田義盛を助けたという話があり、「矢受けの毘沙門天」とも呼ばれているそうです。

これは怖い。大善寺の天王立像

 大善寺の天王立像(4)(画像)はうってかわって恐ろしいです。陰鬱な表情もさることながら、経年変化で顔面が割れ、両腕が失われているのがイヤです。

 平泉の中尊寺金色堂の中央段にある増長天像をふまえているそうですが、え〜と、画像がみつからないがね。う〜ん、これしかないか(→画像)。ウイリーを探せならぬ増長天を探せ。そう、中央から向かって左に二人目ですね。なるほど、よく似てます。

工芸品的な美しさ。常福寺不動明王

 常福寺不動明王及び両脇侍像(32)(画像はこちら→重要文化財2件を新た像に指定(2019年3月20日)|横須賀市)は、中尊が像高約50cmと大きいものではありませんが、工芸品的な美しさがあり、造像当初の截金模様や金銅の装飾品が残っております。お顔も上の歯で下唇を噛む古風なスタイルで、両目が(不動明王から見て)右上を向いているのはぽん太は初めて見ました。

基本情報

【展覧会名】運慶 鎌倉幕府と三浦一族
【会場】横須賀美術館
【住所】:神奈川県横須賀市鴨居4-1
【期間】2022年7月6日〜2022年9月4日 (8月1日休館)
【開館時間】10:00〜18:00
【入館料】一般:1800円、高校・大学・65歳以上:800円、中学生以下:無料
【公式サイト】運慶 鎌倉幕府と三浦一族 | 展覧会 | 横須賀美術館
【作品目録】運慶展作品目録.pdf
【出品作】番号は作品目録のもの ◎国重要文化財 ◯神奈川県指定 □横須賀市指定
4 天王立像 平安時代末期 大善寺金沢文庫寄託)
6 ◎ 不動明王立像 運慶作 鎌倉時代 文治5年 浄楽寺
7 ◎ 毘沙門天立像 運慶作 鎌倉時代 文治5年 浄楽寺
9 毘沙門天立像 鎌倉時代 個人像
10 ◎ 十二神将立像 鎌倉時代初期 曹源寺(金沢文庫寄託)
11 ◯ 毘沙門天立像 鎌倉時代 清雲寺
18 ◎ 観音菩薩立像 鎌倉時代 満願寺
19 ◎ 地蔵菩薩立像 鎌倉時代 満願寺
20 □ 不動明王立像 鎌倉時代 満願寺
21 □ 毘沙門天立像 鎌倉時代 満願寺
32 □ 不動明王立像及び両脇寺立像 鎌倉時代 常福寺
【参考文献】横須賀美術館神奈川県立金沢文庫編『運慶 鎌倉幕府と三浦一族』(公式図録)、2022年、吉川弘文堂