六善光寺同時御開帳の五つ目は、岐阜善光寺。岐阜市内にあります。
ただ御開帳期間でも、善光寺如来を拝観できる時間は9:00、11:00、13:00に限られますのでご注意ください。
ちょっとこじんまりとした建物ですね。1891年の濃尾地震で本堂が全焼し、現在の本堂は1912年の再建だそうです。
御開帳のリーフレットが、なんか演劇のチラシみたいで素敵です。
善光寺如来は見れず
拝観料は無料です♪
ところあ本堂に入ってみると、あれれ、ご本尊の前に黄色い紗幕がかかってます。あの〜見えないんですけど。
なんと内陣参拝の時間が1日3回決まっていて、その時じゃないと拝観できないとのこと。残念ながら日程の関係で次の参拝時間まで待てなかったので諦めることにして、うっすらと見えるお姿に向かって手を合わせました。
岐阜善光寺が作られたのは武田氏が信長によって滅ぼされたから
長野市の善光寺のご本尊・善光寺如来は、戦国時代の支配者が次々と入れ替わる中、各地を転々としました。善光寺 → 武田氏 → 織田氏 → 徳川家康 → 豊臣秀吉 → 善光寺 といった具合に、約40年間各地を彷徨っていたことになります。
岐阜善光寺について | 岐阜善光寺 : 岐阜善光寺や善光寺 (岐阜市) - Wikipedia(詳しいけどソースなし)によれば、1582年の甲州征伐によって武田氏を滅ぼした織田信長は、甲斐善光寺に祀られていた善光寺如来を岐阜に持ち帰り、伊奈波神社の近くに祀りました。信長はその年に本能寺の変で亡くなったため、信長の次男の織田信雄(おだのぶかつ)が尾張国の甚目寺(じもくじ)に移しました(甚目寺の公式サイトやWikipediaには記載なし)。善光寺如来はその後、家康・秀吉の手を経て長野市の善光寺に戻っていくわけですが、いつごろかははっきりしませんが信長の孫の織田秀頼が、かつて善光寺如来が祀られていた場所に伊奈波善光寺堂を建立して善光寺如来の分身を祀ったのが、岐阜善光寺の始まりとされているようです。
藤原時代の木造釈迦如来坐像
ほかに平安後期の釈迦如来坐像がありました。写真はたとえば祇是未在 – ソゾタケ仏像紀行というブログのこちらにあります。
平成16年に行われた解体修理で、当時の姿を取り戻したそうです。岐阜市指定文化財。
ふくよかで雅やかな定朝様の仏さま。上半身に比べ、下半身はやや小さめです。
本堂にはそのほか本多善光・弥生・善佑の像も祀られております。
隣には伊奈波(いなば)神社
隣の伊奈波神社して帰りました。凛とした雰囲気の漂う大きな神社で、次々と参拝客が訪れておりました。公式サイトはこちら(→https://www.inabasan.com)です。
基本データ
【寺院】岐阜善光寺、伊奈波善光寺 (愛護山善光寺安乗院) 真言宗醍醐派
【拝観日】2022年5月下旬
【拝観】御開帳期間:2022年4月3日〜6月29日
9:00, 11:00, 13:00の内陣参拝以外は善光寺如来の拝観はできません。
拝観料:無料
【関連サイト】
【仏像】
釈迦如来坐像 平安後期 市指定
本多善光・弥生・全佑像